自分の感情をどうすればいいか分からなかった
それまでにはなかった
自分のなかに渦巻く表現しにくい、なにか。
それも自分の感情なんだと、気づけなかった。
どう扱っていいか分からなかった。
だから、見ないようにした。
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中学にあがるとそこでは
僕にとって全く不可解なルールが待ち受けていた。
先輩>後輩の上下関係。
同じ学年内でのヒエラルキー。
イジメ。
次第に学校に行くのが楽しくなくなっていった。
行かなければならないものに変わっていった。
義務感。
みんな行ってるから、行くしかない。
当時はそれ以外の選択肢が考えられなかった。
そういう状況では、
「苦しい」や「つらい」気持ちでいっぱいだったと思う。
今振り返ればそう思うけれど、
その時の僕は気づけなかった。
気づかなかったのか。
気持ちや感情をどうすればいいか分からなかった。
「つらい」気持ちがあったとして、
それをどう扱えばよかったのだろう?
大人になった今の自分でも悩むのに、
中学生の僕はなおのこと分からなかったと思うんだ。
それに加えて、
「苦しい」とか「つらい」みたいな気持ちを
抱くこと自体がいけないことのような空気があった。
弱い、情けない、男らしくない、ネガティブ、、、
それらはあってはいけない、と。
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中学生になって、
自分にとって苦痛になることがグンと増えた。
それは思ってもみなかった事態だった。
この事態のなかで、
自分のなかで急激に増えていった不快な気持ちを
僕はどうすればいいか分からなかった。
不快な気持ちを持つこと自体
いけないことのように感じていた。
それが自分の感情なのだと
認めることもできなかった。
だから、見ないようにした。
なかったことにした。
フタをした。
そうすることが
その時の僕ができる
精一杯の行動だった。
〜END〜
「心の底からの訴えを遠ざけてしまうコミュニケーション」が自分も相手も傷つけている
人を思いやる気持ちとともに、与え、受け取ることによろこびを感じるのは、本来自然なことだ。しかし、わたしたちはさまざまな種類の「心の底からの訴えを遠ざけてしまうコミュニケーション」を身につけて話したり行動したりするようになっている。その結果、自分自身も自分以外の人も傷つけている。
p53「第2章 思いやる気持ちを妨げるコミュニケーション」より
ひどく混乱している。
最近読んだ「NVC 人と人の関係にいのちを吹き込む法」の
内容が自分には衝撃だったから。
マーシャル・B・ローゼンバーグさんが生み出した
新しいコミュニケーションのかたち。
それが非暴力コミュニケーション
(Non-violent Communication=NVC)だ。
NVCを行うプロセスには4つの要素があるという。
①観察(自分の人生の質を左右する具体的な行動の「観察」)
②感情(観察したことについて抱いている「感情」)
③必要としていること(そうした感情を生み出している、価値、願望、「必要としていること」)
④要求(人生を豊かにするための具体的な行動の「要求」)
まだ半分ほど読んだところなんだけれど、
ページをめくるたびに驚きが止まらない。
わたしたちには生まれつき人を思いやる気持ちがそなわっているというのに、それをなかなか発揮できなくなるのはなぜか。研究するうちにわかってきたことがある。あるタイプの言葉とコミュニケーション方法は、人や自分に対して暴力的にはたらく一因となると気づいたのだ。わたしはそうしたコミュニケーション方法を、「心の底からの訴えを遠ざけてしまうコミュニケーション」と読んでいる。
p39-40「第2章 思いやる気持ちを妨げるコミュニケーション」より
心の底からの訴えを遠ざけてしまうコミュニケーションの根底には、何百年も前から影響を及ぼしている人間に対する考え方があるとわたしは思っている。人は内面に邪悪なものを抱えた不完全な存在であると強調し、本来の望ましくない性質を矯正するためには教育が必要であるという考え方だ。そうして教育された結果、わたしたちは自分の感情と自分が必要としていることを肯定できなくなる。そして大人になるよりずっと前に、自分の内面を無視することを学ぶ。
p52「第2章 思いやる気持ちを妨げるコミュニケーション」より
「心の底からの訴えを遠ざけてしまうコミュニケーション」とは
「間違っている」と道徳をふりかざして裁いたり、
比較して評価したり、
責任を回避する言葉を使うことと解説されている。
どれも自分が日常で何気なく
使っていたものばかりで
自分のこれまでのコミュニケーションのあり方を
振りかえらないではいられなかった。
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自分のなかで、ずっと人と関係が築けないのが悩みだった。
人との会話のやりとりで
仲を深めるつもりが溝ができてしまったり、
思いや考えがちゃんと伝わらないことでイライラしたり。
なんでそうなってしまうのか分からなくて、
そんな状態がもう嫌々でたまらなくて。
そういうことがよく起きていたのは
「心の底からの訴えを遠ざけてしまうコミュニケーション」を
使っていたからなのかもなと。
NVC(非暴力コミュニケーション)を
もっと知りたい自分がいる。
〜END〜
20th Anniversary 明治安田生命×小田和正 限定動画を見て、僕が思わず泣いてしまった理由
人間っていう生き物って、クソじゃねー?
って思うことが少なくない。
でも、この映像を見たら
「人間ってちょっとは素敵やん」と思えたから。
(↑リンク先の「▶︎限定動画を見る」をクリックすると見れるよ)
タッグを組むようになって
今年で20周年のようで、
特設サイトも作られていて。
そのなかの1分30秒の「限定動画」を見て、
思わず泣いてしまった。
なんとも素敵な雰囲気を醸すキャストらが、
(たぶん)20年前の写真をバックに
語らう様子が流れる。
(おそらく、20周年にちなんで、20年の年月を感じさせる構成になっているのかな)
友達、親子、家族、兄弟、、、
何組かの映像のあとに、
こうナレーションが入る。
自分だけでは、
知ることのできなかったしあわせ。
出会いを喜び、大切にできる人って、
素敵だなってじんわり思った。
この動画にはそうであろうと
感じさせる人たちが次々と映し出されて、
かつ、それぞれの20年の月日を想像せずにはいられなくて、
もう胸がいっぱいになっちゃうのよね。
(ほぼ勝手な妄想が入りまくりなので、個人の見解です)
イジメ、しがらみ、忖度、嫉妬、憎悪、暴力、虐待、洗脳、戦争、虐殺、、、
人が人を憎み、妬み、罵り、
果ては相手の尊厳や命まで奪ってしまう。
人間っていう生き物って、クソじゃねー?
そう思うことが少なくない。
でも、クソだと絶望せずに
「人間ってちょっとは素敵やん」と
思えるから、生きていけるんじゃないかな?
〜END〜
仙台ふららん「スリバチ会長と歩く 六郷掘・七郷堀」河原町〜国分寺薬師堂をまち歩き
六郷堀途中、暗渠から開渠
ブラタモリ仙台編でも放送された宮城刑務所は若林城跡地
どこぞの庭園を思わせる若林区役所
最近できたという薬師高砂堀通り 車道より歩道がやたらと広い
国分寺薬師堂にこんなのできてた!
史跡公園として整備されるんだとか?
兄、妹の結婚式のためにイラストを描くの巻
来月、6月は妹の結婚式なんすー。
ということで、頼まれてウェルカムボード(っていうのかな?)用の
イラスト描いたよん😎
旦那さんは元ラガーマンで、強そうなゴリラみたいな方でやんした😆
妹よ、こういう人がタイプだったんか???
韓流タレントみたいなシュッとしたやつにホの字だったと思ってたら。
わーわー言うとりますが、
お兄ちゃんはうれしゅうございます〜〜〜😂
式当日は泣いちゃうかもね〜〜〜😭
〜END〜
仙台まち歩きツアー「スリバチ会長と歩く榴ヶ岡・清水沼」
仙台城候補地、榴岡天満宮
東のターミナル、原町
暗渠はどこだ?
なぜ丘になっているんだろう?
超個人的な「好き」を他の誰かと共有できるうれしさ
「スリバチ会長と歩く 六郷掘・七郷堀~水の都・仙台の用水路を訪ねよう~」