ぶらやまだ

日々のなかに遊び心を。自分らしさ探求中。

【繊細さん・HSP】 2/19(水)平日夜ゆるゆるおしゃべり会@仙台のお知らせ

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前回に続き、平日夜の部を開きます〜。
2/19(水)19〜21時にゆるゆるおしゃべり会ですよ〜。
お申込みはこちらから↓

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●会 場 :仙台市市民活動サポートセンター(サポセン)4階 研修室3
 住所:仙台市青葉区一番町四丁目1-3(広瀬通交差点そば)
 アクセス:市営地下鉄南北線広瀬通駅」からすぐ。

●時間:19:00〜21:00(途中参加、途中退出OKです)

●定員:6名(当日になっての参加も大歓迎です★)

●参加費:1,000円(会場代、お茶菓子代に充てます。当日ご用意ください)

◆◆◆

僕自身もいち参加者として、定期的に土日開催の交流会に参加してたんですが、
・行きたいけれど土日は参加が難しい…
・その日あった仕事や家庭でのモヤモヤを誰かに話したい…
そんな方のための場所があったらうれしいなと新たにスタートした平日夜の集まりです。 

今回で2回目。前回は1月に開いたのだけれど、当日におふたりいらしてくれてうれしかったです。なので、当日直接来ちゃってもOKです。

①自分のHSP気質について経験などをお話し
HSP気質あるある・よかったこと・悩みや困りごとなどを、少人数のグループごとでお話しします。)
②私の回復方法〜こんなふうに自分をケアしてるけど、みんなどう?〜
(疲れたら長めに半身浴、休日は緑の多い公園へ、などなど)
というテーマで進めていく予定です。

来られたみなさんでゆるゆるとお話しの場・対話の場を一緒につくりましょう^_^ /

自分が幸せに生きるためのエネルギーは自分自身でつくれる

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つらかった過去を乗り越えるべく、
負けてたまるか!と
生きるエネルギーに換える。

それはものすごく燃え上がるもんだから、
意外とパワフルにがんばれたりするんだよね。

で、気づいたらつらかった過去もとうに忘れていて、
あぁついに乗り越えたのかと思ったら、
今度はこれからなにをエネルギーに
したらいいのかが分からなくなっていた。。。


そんな僕がNVCで気づいたのは、
自分が幸せに生きるためのエネルギーは
自分自身でつくれるんだ
ということ。

* * *

参加していたNVC基礎づくりコース
全6回が先月で終了。

NVCをひとことで言えば、
自然なわかちあいができる関係を自分と他者でつくる方法。

「心の底からの訴えを遠ざけてしまうコミュニケーション」が自分も相手も傷つけている - ぶらやまだ


最後にひとりひとりコメントする時間があって。
参加者のひとりTさん。
そのTさんのコメントのなかに
自分が求めていたことがあったのよ。

シンプルに表すと、
これからの新しいエネルギーは
自分に共感するってこと。

* * *

外部からエネルギー源を持ってくるのでなく、
つらい過去をバネにするのでもなく、
もうすでに自分が自分自身を満たすために
やってることはたくさんあるという。

ささやか過ぎて、小ちゃ過ぎて、
なかなか気づけていないだけで。

おいしいご飯を食べること。
お風呂に入って体を清潔にすること。
あったかい布団で眠ること。

当たり前のことかもしれないけれど、
そのひとつひとつの自分の行動に共感していくと、
あぁ、自分を満たしたかったんだな、私は。
そうか、オレは自分を幸せにしたかったからなのか。
と気づくことができる。

自分が幸せに生きるためのエネルギーは
自分自身でつくれる。
というか、もうすでにつくってる。

* * *

燃やすものはねーかー!?
と、探し回ってた自分にとっては
自分でつくれるだとぉ!?
てか、もう自分でやってるんかい!
って、驚きとともに安堵感があった。

自分に共感すること。
それが僕のこれからの
新しいエネルギーなんだと思ったら、
うれしくてうれしくて仕方なかった。

 

〜END〜

「自分の言葉」にするまで時間がかかってもいい

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自分の気持ちを言葉にするのって時間がかかるなー。
まだ表したことがない気持ちなら、なおさらだ。

時間がないから、やめとこう。
このよく分かんない気持ち、めんどくさい。
言葉が見つからないから、諦めた。

そういう積み重ねで、
自分の気持ちが次第に遠ざかる。
そして、自分の言葉を失くして、
自分自身が見えなくなる。

気づけば、わしゃ誰の人生を生きとるんかいな???
っていうことになってるんじゃないかなって
個人的に思うんすよね。

* * *

遅い、曖昧、ぼんやり、モヤモヤ、、、
それらは今の世の中ではけっこうウザがられる。
速いことやハッキリしたこと、
エッジが効いたことをズバッとみたいなほうが
賞賛されるっていうか。

けど、時間をかけて取り組めば
そのモヤモヤの向こうに
自分のなくてはならないものがあるんだよなー。

誰にでもあるものじゃないものこそが、
自分にとって大切なものなのかなって。
それは誰にでもあるものじゃないがゆえに、
できあいの言葉がないんすよね。

だから、なんて表したらいいのか分からないことが多い。
でも当たり前なのだ、自分しか分からないのだから。

自分しか分からない、
けれど、その自分がなんて表していいのか分からないことを
ていねいに、ていねいに、言葉にしていく作業。

僕が憧れている人やかっけええなって思う人は
そういう作業を各々の方法・やり方で
やってるように思える。


遅くても、時間がかかってもいいから、
焦らずに、誰かと比べずに
自分の言葉を探り当てていきたいなー。


〜END〜

自分の中のやりたくないこと、 違和感こそ大切

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この前書いた自分の生き方の転換。

答えを外に求める生き方から答えは自分の中にある生き方へ - ぶらやまだ


影響を与えてくれたのはカウンセリングと
もうひとつ、Non-violent Communication(NVC)=
共感的コミュニケーション。

現在、NVC基礎づくりコースを受講して学んでいる最中。
NVCについてはこの記事に書いた通り。

「心の底からの訴えを遠ざけてしまうコミュニケーション」が自分も相手も傷つけている - ぶらやまだ

オンラインでの講座で2時間×6回のコース。
参加者は僕も含めて16名。

講師である安納献(ケンさん)の話をもとに
3〜4名の小さなグループに別れて、
各々感想をシェアしあう形で進められていく。

* * *

この講座に申し込んだ当初は
NVC」こそが自分が探していた答えで、
これさえマスターすれば
自分は幸せになれるにちがいないというスタンスだったんすよ。

けれど、この講座の一番最初のケンさんからの
メッセージでそれが大きく揺さぶられちゃいまして。

「やりたくないことは絶対にやらなくていい。」
「みなさん自身の経験、知識を大事にして、違和感や腑に落ちないことも大切にしてほしい。」

え?どういうこと???
NVCの技法を学ぶこと以上に
自分のなかのやりたくない気持ちや
違和感を大切にしてほしいだなんて!

今までにないことだったので面食らった自分がいて。
ただ、日が経つうちに、
カウンセリングで自分のなかを整理して、
自分と相談していたのと相まって、
ふと気づいた。

そっか、僕はずっと答えを外に求めてばかりいたのかぁ。
だから、求めても求めても違和感でいっぱいだったのか。

違和感っていうのは、自分が大切にしたいことがないがしろに
されているというメッセージでもあるんだな。
自分が大切にしたいことを自分自身が見落としてきてたのか。

なら、自分にとっての答えは自分のなかにこそあるんじゃねえの?

* * *

NVCの講座は今日で4回目。
例によって小グループで話してて、
それぞれの話をバラバラに違った人生・背景があるなあと
噛み締めながら聞いてた。

ただ、バラバラながらも互いに通づる共通点らしきものがあって。
それはなにかといえば、
ひとつの価値観や考えを強制されることをよしとせず、

自分で取捨選択できる自主・自律性を大切にしていること。

強制されず押し付けられず、
自分の裁量で行動ができるんだという
ある程度の「あそび」があるからこそ、
自分も相手も尊重できるんじゃないかな?

* * *

僕はひとりひとりが

自分のやりたくないことや

違和感を大切にしてもいい場が

好きだ!

次回も自分のやりたくないこと、
違和感を大切にしつつ、楽しみたいな〜

 

〜END〜

答えを外に求める生き方から答えは自分の中にある生き方へ

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これでいいですか?
どうしたらいいですか?
答えを教えてくれませんか?

これまでずっとこうやって生きてきた気がする。
答えを求めにセッセと
外に出歩いていた時期もあった。

答えをまわりに求めておいて、
返ってきた答えに対して、
う〜ん、違うんだよな~と腹を立てることもしばしば。

アドバイスしてくれよ!って頼んでおいて、
そうじゃない!!って不満を抱えるっていう、、、。
わしゃ、いったいなんじゃいなww

* * * 

んで、ついここ最近、
カウンセリングを受けるようになり、
自分と相談するようになって、
この自分のおかしな状態にはたと気づいた。

あれ?答えを外に求めてるっつーのが
そもそも間違ってたんじゃね???と。

自分にとっての答えは
自分しか分からないんじゃないかな?
答えは自分の中にあるのでは?

自分にとっての正解はまわりの誰かに聞いても分からんですよね。
返ってきたとしても、それはその人の正解であって、自分のじゃない。
だから、違うんだよな~と違和感があって当然だったわけだ。

自分はどうしたい?
なにができそう?
自分がこうありたいイメージってどんなだろう?

まわりの誰かに聞き回ってた姿勢から
自分が自分自身に問いかける姿勢に
少しずつ変わってきているなーと。

* * *

答えを外に求める生き方から、
答えは自分の中にある生き方へ。

なんかこっちの生き方のほうが
自分とつながれて、そして喜んでくれる。
そんな感覚があるのだ。

 

cotree.jp

soar-world.com

 

〜END〜

自分で自分のことを語る→整理される→行動できる

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少し前までカウセリングに通っていることを
恥ずかしいことだと思ってました。
自分のなかに、思い込みがあったんですよ。
カウンセリングは病気や弱っている人が受けるものだ、っていうね。

だから、まわりの人もそう思ってるに違いないんでしょ?
病気の人だと思われたらなんか恥ずかしい!耐えられない!
そう思ってました。

でね、その感覚が変わったのは
なんせカウセリングの時間が楽しいから。

* * *

自分にとってのカウンセリングとは、
自分が自分のことを語ることで
グチャグチャだったものが整っていくということ。
これがもうたまらなく喜びなのですよ!!

というか、その最中って、
自分のことに集中しまくってて、
とにかく夢中なんですよ。
んで、夢中になってカウンセラーとやりとりしてると
時間があっという間に過ぎている。
1時間が10分くらいの感覚。

え!?もう時間??もっと話したい!って気持ちになって、
この時に「あっ!今僕は夢中だったんだな」と気づいて、
これが自分にとって喜びなんすよね。

時間を忘れて無我夢中、
この状態って自分がこれをやりてえぞ〜!
って自分自身が訴えてると思ってて。

そのくらい、自分のことを自分の口で話すことをしてこなかった、
自分の欲求や願望をアウトプットしてこなかった
っていうことでもあると思うんですよね。
それは自分に対して謝りたいっすね〜。

* * *

思うに、なにかしら病的である人っていうのは、
自分のなかでいろんな思考や考えがグチャグチャになってて、
もう収集がつかない状態になっている人なんだと思うんですよ。

自分が自分の言動を理解できない、認められない。
結果、自己不信や自己否定の無限ループに陥ってしまうんじゃないかな。

自分にとってカウンセリングは
そのグチャグチャ状態を整理する絶好の場だと思う。
整理すると、じゃあ自分がなにをするといいのか
自ずと分かってくる感じ。

仕事で広告のデザインをしてるんだけど、
なににおもしろさを感じてるのかといえば、
たくさんの情報を整理しているときだなって改めて気づいた。

僕は整える、整理する、秩序立てることが好きなんだ。

cotree.jp

note.mu

 

〜END〜

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