phaさん『持たない幸福論』。小さく死ぬことで新しい自分が生まれる。
要は、多くの人が普通にこなせないものを「普通の理想像」としてしまっているから、みんなその理想とギャップで苦しむのだ。
(はじめに p8)
まずこの部分に共感。
最近読んでいたphaさんの『持たない幸福論』。
持たない幸福論 働きたくない、家族を作らない、お金に縛られない
- 作者: pha
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2015/05/26
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (11件) を見る
ぼく自身も過去「普通」をめっちゃ意識してました。
(今もあるかな、、、)
だから、普通から外れることがこわかった。
けど「普通」って、世間的に言われる普通であって、
それが自分に合っているかはまた別だよなあと
ここ数年で思い直すようになって。
サイクルを巡らせて、更新する。
数ページ挟んで、現れたこの図。
これが個人的にはなるほどな~でした。
(1)仕事も自分もいい感じ(社会肯定・自分肯定)
(2)やらなきゃいけない仕事はあるけど、つらい(社会肯定・自分否定)
(3)自分はもうだめだ、仕事も何もかもどうでもいい(社会否定・自分否定)
(4)ひたすら自分が楽しいことをしてるだけで楽しい(社会否定・自分肯定)
→そしてまた(1)へ戻る
(第一章 働きたくない p56)
phaさんいわく、(1)の仕事も自分もいい感じの状態に
ずっといられることは難しいそう。
それは社会が自分の都合のいいように出来ているものではないし、
単純に飽きてきてしまうので。
だから、(1)(2)(3)(4)と巡らせて、更新することが必要だよねと。
小さく死ぬことで新しい自分が生まれる。
(3)の時期は「一時的な死」「小さな死」のようなものだ。ここで重要なことはただ一つ、(3)の時期に自暴自棄になって無茶なことをしたとしても、そこで本当に物理的に死んでしまわないことだ。擬似的な「小さな死」をときどき死ぬことでガス抜きをして、本当に死んでしまうことをできる限り避ける。
(第一章 働きたくない p55)
、、、小さな死、ですとぉ〜!
一時的に、小さく死ぬってことが生きるうえで重要なのかもな~。
過去の古い自分を死なせることで
未来の新しい自分が生まれるのでしょうね。
そういえば、お隣山形の山伏修行の話を聞いたことがあって。
白装束=死人の格好で山に入るらしいだけれど、
それってつまり、これまでの私は一度死んだことにして
また新たに生まれ変わることを意味してるんだよ~
とかなんとかだったような。
死ぬことって決して忌み嫌うことじゃないんだろうな。
小さく死なないと、次に行けないってことが人生にはあるのでは?
持たなくていいのは、もうすでに持っているからでは?
この『持たない幸福論』の「持たない」っていうのは
仕事やお金や家族のことについて書かれていたけれど、
ぼくなりに解釈すると、
もうすでに「持っている」ってことなんじゃないかな?
人間に生まれ落ちた時点で、まれなこと。
小さく死ぬことで新たな自分が生まれるメカニズムって
なんだかめっちゃ不思議でおもしろいことじゃん。
こういう摩訶不思議なアドベンチャー体験を味わえるのは
人間ならではでっせ~と考えたら、
もうすでに「持っている」ってことなんじゃないかなあって。
といっても、ぼく自身そのおもしろさを
体験できているかといったら、全然だなあ。。。
もうすでに「持っている」んだとしたら、
それをじっくり味わえたらなあと思います。
こんな記事も書いてます。合わせてどうぞ~★
ーーーーーーーーーーーーーーー
仙台でイラストも描けるデザイナーとして活動しています。
ホームページはこちらから
http://kunihiro520megane.wix.com/yamada-magazine-web
ツイッターやってますよ(フォローどうぞ。基本フォロー返しします)
https://twitter.com/megane0018
フェイスブックもやってますよ(フォロー歓迎でございます)
https://www.facebook.com/kunihiro.yamada.142
ぼくも参加した、好きを仕事に「かさこ塾」。誰でも来れるのおまつりありますよ〜
この記事を気に入ってくださった方は、ブックマーク、ツイートなどしていただければうれしいです。ブログを更新する励みになります★
読者登録も大募集中です!よければ、下のボタンをポチッとしてくださいね〜。