ぶらやまだ

日々のなかに遊び心を。自分らしさ探求中。

「知らずにいたい」というひたむきな努力が無知をつくる。内田樹『寝ながら学べる構造主義』。

内田樹さんの『寝ながら学べる構造主義』を読み直しました。

寝ながら学べる構造主義 (文春新書)

寝ながら学べる構造主義 (文春新書)

 

いつも思うのは、内田さんの本は本文はもちろんのこと、

「まえがき」と「あとがき」がおもしろい!

 

今回読んだまえがきにも思わず唸ってしまう一節がありました。

なぜ私たちはあることを「知らない」のでしょう?なぜ今日までそれを「知らずに」きたのでしょう。単に面倒くさかっただけなのでしょうか?

それは違います。私たちがあることを知らない理由はたいていの場合一つしかありません。「知りたくない」からです。

より厳密に言えば「自分があることを『知りたくない』と思っていることを知りたくない」からです。

無知というのはたんなる知識の欠如ではありません。「知らずにいたい」というひたむきな努力の成果です。無知は怠惰の結果ではなく、勤勉の結果なのです。 (p9-10)

 

「知らずにいたい」というひたむきな努力が無知をつくる。

無知というのは、何にも関心を示さずに

怠けて学ぶことをしなかったからだと思っていたけれど、

内田さんはそうではなく、「知らずにいたい」という

ひたむきな努力の成果、勤勉の結果なんだと言うのです。

 

、、、なんとまあ!

 

であれば、そこまで「知らずにいたい」と努力し、

必死になって目を逸らしていたものはなんなのか???

 

それは「誰も答えを知らない問い」「答えのない問い」、

つまり根源的な問いだと指摘されてました。

 

誰も答えを知らない問い、答えのない問い。

問いに対しては答えがある、ボクはそういうものなんだと思っていました。

そうでなきゃ、つじつまが合わない。

 

でも、この世には、答えが誰にも分からない、

というかそもそも答えなどない問いというものがあるんですよね。

 

なぜ生きるのか、なぜ死ぬのか、なぜ人間は誕生したのか、

なぜ地震は起きるのか、、、それらには答えなど用意されていない。

つじつまなんて合わない、わけがわからないことだらけ。

 

答えを出せない問いという「わけのわからないもの」から目を逸らして、

答えのある問いのなかだけに生きること、それが無知ってことなのかな。

 

問いに対しては答えがある、答えを出せない問いなんてないんだ、

という考え方に囚われていること、それが無知ってことなのかな。

 

知性を磨くには。

「答えを出すこと」ではなく、「重要な問いの下にアンダーラインを引くこと」なのです (p11)

自分自身の問題として、みずからの身に引き受け、ゆっくりと噛みしめること (p12)

たとえいま無知な人間であったとしても

「アンダーラインを引くこと」「ゆっくりと噛みしめること」

そうやって知性をドライブすることで

深く厚みのある人間に成熟するのだろう、きっと。

 

知性とは人間が成熟するため、生き抜くためにあるものだとボクは解釈します。

 

 

さてさて、はああ〜どこかにかしこくなる薬売ってないかな〜(本読んだのに全然学んでないやん、きみアカンやん)

 

 

内田さんがちょっと気になったあなたはタツラー予備軍。タツラー記事はこちらもあるよ★

kunipi.hatenablog.jp

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