ぶらやまだ

日々のなかに遊び心を。自分らしさ探求中。

ジブリアニメーション映画『魔女の宅急便』。宮崎駿が「空を飛ぶ少女」を描くのは、少女は空を飛ばないから。

なぜ「空を飛ぶ少女」が作家宮崎駿にとって創造意欲を解発する特権的なイコンとなりうるのか。
一言で答えるなら、少女は空を飛ばないからです。これは「ありえない絵」なんです。
もし風を呼んでメーヴェを駆動する少女や、飛行石で浮き上がる少女や、ほうきにまたがって飛ぶ少女が実際に存在するなら、その絵について精粗や巧拙を論ずることは可能です。構図がどうだとか、デッサンがどうだとか、色使いがどうだとか、スタイルがどうだとか、いろいろな批評の言葉がありうるでしょう。でも、 空飛ぶ少女は存在しない。これは「ありえないもの」の絵なんです。だから、それが「実物をどれくらいリアルに再現しているか」というようなことは誰にも言えない。宮崎駿が「空飛ぶ少女」を選んだのはそのせいだと思います。
文春ジブリ文庫 ジブリの教科書5 魔女の宅急便 p32

 

『魔女の宅急便』が好きなら、この本もおすすめです。

らいさんのブログで
テレビで『魔女の宅急便』が放送されてたのを知りました。
(ニシンのパイは昔だったらビミョーだったけど、今の歳なら旨そうだなって思えちゃう。)

rai-mishima.hatenablog.com

ジブリアニメはボクも大好きです。
特に『魔女の宅急便』と『風の谷のナウシカ』。
宮崎駿と高畑勲のフクザツな関係も興味そそられるところです。

文春文庫から出ている「ジブリの教科書」というシリーズ本がありまして。
制作関係者が語る誕生秘話や現場の声、
作家さんたちのマジョタク論がぎっしり詰まった内容になってます。

その5作目が『ジブリの教科書5 魔女の宅急便』。

ジブリの教科書5 魔女の宅急便 (文春ジブリ文庫)

ジブリの教科書5 魔女の宅急便 (文春ジブリ文庫)

 

 

宮崎駿が「空を飛ぶ少女」を描くのは、少女は空を飛ばないから。

この本で独自の見方を書いてるのがボクがお慕いしておりまする内田樹さん。

実は内田さんもジブリが大好きで、
『魔女の宅急便』のテーマを「少女が労働を通じて成熟する」話だと語ります。
そして、さらにその裏に「才能の物語」が隠されているのだと。

キキは魔女の血で空を飛べる。
中盤、あることをきっかけに飛べなくなってしまう。
けれど、最後に友達を助けるために飛ぶ能力を蘇らせる。

空を飛べるという才能があるゆえの苦しみ・悩み・葛藤。
そこからどうやって脱出するか。
そういうものが描かれているんだと。

 


そして、これは同時に宮崎駿自身そのものだと指摘します。

絵を描くという才能があるゆえの苦しみ。
そういうスランプを脱するときの一撃必殺が
宮崎駿の場合、空を飛ぶ少女を描くことだった。
なぜなら、少女は空を飛ばないから。

ありえないものをまるでありえるかのように描く。
人は空を飛べない、けれど、さも飛べてしまえるんじゃないかと
思えるかのごとく描いてみせてしまうスゴさ。

空を飛ぶ少女を描くとき宮崎駿は不調やスランプをもろともせずに
筆が動かせてしまえたのではないか。

そういう切り口で『魔女の宅急便』論を展開。

 

誰にでも才能ってあるんじゃないかな。そして、それを失ってしまった経験も。

ボクがなんでこれを読んでうんうん!おもしろい!って
思うのかなって考えてみると、
自分もかつて才能が失われてしまった経験があるからだと思っていて。

ワイ才能のかたまりやったんやで!って自慢したいわけじゃなく(笑)

ひとくちに才能といっても、誰にでもなにかしらの形であるとボクは思ってて、
知らぬ間にできること、努力してもないのに人より上手なこと。

そういうのって、たぶんきっとひとつでもあるんじゃないかな。

 


ボクの場合は友達づきあい。
子どもの頃はけっこう親しみやすいヤツだったようで
自然といつのまにやら友達がたくさんいたんですよね。
日が暮れるまで遊び回っていたほどで、友達に困るってことがなかった。

それが中学校、高校と歳を重ねるにつれて
だんだんと友達づきあいが減っていって。

思い出すのが、学年が上がってクラス替えがあると
またイチから友達づくりが始まるんだけれど、
そういうときにどうやって友達をつくっていいのか分からないなって。

それまでは自然と、勝手に、いつのまにやら
友達がむらむらと集まってきていたから。
なので、友達になるってなにから始めるの???っていう状態で。

そうしてるうちに、クラスであまってしまうっていう(笑)

 

『魔女の宅急便』は成長する悲しみを描いていた。

キキは一度空を飛べなくなってしまったけれど、
トンボ君を助けたいという一心からまた空を飛べるようになりますね。

一度失ってもまた才能を呼び覚まして成長できてるんだよなあ。
すげーぞキキ。
自分はどうだろうなって。

内田さんはこう書いて『魔女の宅急便』論を締めくくります。

「自分の天才との無邪気な親密さ」こそ、天武の才能をもって生まれてきたものが、その才能とともに成長してゆこうと願うなら失わなければならないものなのです。その成長する悲しみをこれほどみごとに図像化した宮崎駿の力業に僕は深いため息をつくのです。
文春ジブリ文庫 ジブリの教科書5 魔女の宅急便 p34

成長するって悲しいことでもあるんですね。。。

 

そうそう、主人公キキと絵描きの女の子ウルスラの声って
高山みなみさんが一人二役でやってたんですね。
この本読んで知って、まぢびっくらこきました!!

 

 

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