仙台の戦国武将 国分氏と留守氏のお城跡巡り
伊達政宗公が宮城一帯を治める前に仙台を領地にしていたのが、国分氏と留守氏。
国分氏が居城としていたのが千代城(のちの仙台城)、そしてもうひとつが松森城。
留守氏の居城が岩切城。
なんと、このふたつの城跡が残っていると聞きつけ、さっそく行ってきました。
国分氏の松森城(鶴ヶ城)
まずは松森城。この地が鶴が飛ぶ姿に似ていることから別名「鶴ヶ城」とも呼ばれていたそうですよ。
住宅地の中に入り口の案内があります~。
ゆるい坂をあがっていくと駐車スペースになっていて、そこから階段を進むと本丸跡へ続きます。わっせわっせ。
そうこうするうちに、、、やや!本丸跡に到着。
桜が植えられていたので春は花見が楽しめそう。
近くに学校があるのか、体育か部活をやってる子どもたちの声が響いてました~。
こちらは二の丸のようです。
留守氏の岩切城
続いて、留守氏の岩切城。
高森山にあることから今では高森山公園になってます。
登っていくとこの入り口が見えてきます。
ズンズン進みます!
むむむ!ここが本丸跡のようです!
木が立派でございますな~、これも桜だったかな。
ふたつの城の距離
気づいたのは、このふたつのお城跡、めっちゃ近いところにあるんですよね。
その距離、1~2kmくらい。
こんな近くにあるってことは、このあたりを境に領地争いをしていたのかしら。
ますます興味が湧く~
~END~