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教科書に載ってない戦国時代の宮城・仙台勢力図~大崎氏、葛西氏、国分氏、留守氏~

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『県史 宮城の歴史』p133 戦国期宮城の勢力分布図参考

 
時は天文、西暦1530~1550年代。
上杉謙信、武田信玄、織田信長といった名立たる戦国武将がそれぞれの領地で城主になろうかという時代。
この頃の宮城では伊達氏の他に大崎氏、葛西氏、国分氏、留守氏という勢力が互いににらみをきかせ合っていた。
 

宮城の戦国武将って伊達政宗公以外にいるのかな?

宮城・仙台といえば、独眼竜こと伊達政宗公が有名っすよね!
とはいえ、政宗公も一地方の小大名から成り上がっていったわけで。
じゃあそれ以前に仙台の地を治めていたのって誰なんすか?
この問いに答えられる人って意外に地元の人間でも難しかったりするんですよね。
 
なんでかな~と考えてみると、東北が歴史の表舞台に登場するのは、征夷大将軍坂上田村麻呂の蝦夷討伐、奥州藤原氏が平泉で一世風靡しちゃう。
んで、そっから大きく間があいて、豊臣秀吉がもう天下統一目前ってときにようやく伊達政宗が登場するんすよ。
奥州藤原氏~伊達政宗公登場までがまるっと省略状態で、教科書にも記述がないんですよね。
そりゃあ誰も知らんがな〜。
日本の中心地は近畿地方から関東の鎌倉に移ったり、モンゴル軍に襲われたり、室町時代になったり、下克上、群雄割拠の時代に移り変わっていくわけですが、東北地方のその期間の記述がなかなか見えないんですよね。
 

大崎氏、葛西氏、国分氏、留守氏もいるよ

そこで歴史探検家ヤマダが調査しましたところ、『県史 宮城の歴史』の中にとても分りやすい解説図を発見!
それをもとに簡略化した図が最初に示したもので。
この本によると政宗公以前に宮城・仙台の地を治めていたのは、今の大崎市を中心に治めていた大崎氏、石巻〜岩手南部を治めていた葛西氏。
そして、仙台、松森の国分氏、岩切、塩竈の留守氏。
これら代表的な勢力以外にも秋保、粟野、黒川、長江、亘理といった小規模の勢力が無数にいたようですね。
 
かんたんに紹介すると。
大崎氏は足利一門の斯波氏を祖とする名門。
1400年頃に奥州探題っていうめっちゃ偉いポストに任命されて、大崎地方を拠点としたことから斯波氏改め大崎氏と呼ぶようになっていったんだとさ。
 
葛西氏は奥州藤原氏を滅ぼした奥州合戦の時に活躍した一族。
その功績から石巻〜岩手南部の領地をもらったらしいよ。
 
国分氏は関東の千葉氏の出で、葛西氏と同じように奥州合戦の時に活躍して移ってきたらしい。
若林区にある国分寺周辺を領地にしていたみたい。
 
留守氏もまた、奥州合戦の後に移ってきた一族。
留守所っていうこれまた偉い職務を任されて、自らを留守って呼ぶようになったそうで。
 

伊達氏だけじゃないんだね

宮城・仙台の戦国武将といえば伊達政宗公の一択になりがちで。
でも、ちゃんと調べてみると、それ以前に無数の勢力が存在していたわけで。
今回調べてみて分かったのは、奥州藤原氏を滅ぼした奥州合戦で功績をあげた豪族たちが他の土地から移って土着し、戦国期まで至っているんだなということ。
 
それと、大崎氏は大崎市に、国分氏は国分寺にっていうように、今現在の地名にも関わりがめっちゃあるんだなあ。
歴史って知れば知るほどサイコ〜★
 
 
出典参考/『県史 宮城の歴史』渡辺信夫、今泉隆雄、大石直正、難波信雄 山川出版、『東北の中世史 伊達氏と戦国争乱』遠藤ゆり子編 吉川弘文館

 

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