NVCフェスで体験した「聖なる誓い」と「タイムトラベル」
9/15〜17の3日間行われていたNVCフェス。
その2日目に僕は参加していた。
そこで「聖なる誓い」と「タイムトラベル」という、
へんなワークをした。
「聖なる誓い」は子どもの頃に
自分に課した誓いのことだそうで。
それを解除するのに過去に遡って、
当時の自分に逢いに行くのに
「タイムトラベル」という手法を使うといった流れ。
NVCを学んでいても、
相手の話をちゃんと聞こうと思っても、
なぜかどうしても抵抗があるという場合に
取り組むものらしい。
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怒鳴る人や約束を破る人を見ると
ハラワタが煮えくり返って許せなくなる。
僕はその時間にこの課題に挑戦してみた。
そういう感情になったのは、いつが最初か振り返る。
思い出せるのは中学になって、
先輩>後輩という序列が登場したとき。
年齢がひとつふたつしか違わないのに、
高圧的な態度をとる先輩に憤りを感じた。
講師の方からのいくつかのやりとりを経て、
「目上の人に対してなにか自分を大切にしてもらいたいことがあったのかな?」
と聞かれた。
そのとき脳裏に浮かんだのは、兄だった。
5歳年上の兄。
ちっとも優しくしてくれなかった。
僕はまるで子分やパシリのような扱い。
でも、そんな扱いを受けていながらも、
兄から認められたくてその役割を受け入れていた。
そんな関係も兄が中学にあがる頃から少なくなり、
会話も次第に減っていった。
そして、社会人になり、お互いに実家にほとんど帰ることもなく、
もう何年も顔を見ていない。
それなのに、兄のことを思った。
優しくしてくれなくて、さびしかった。
守ってくれる素敵なお兄ちゃんでいてほしかった。
でも酷い扱いで、僕は自分を犠牲にして
それに従うほかなかった。
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さらに、セッションが進むうちに、
兄も大変な立場に置かれていたんだなってことが分かってきた。
父親の役割を背負っていたこと。
父は仕事で忙しかったのか、幼少時代に父との思い出がない。
だからなのか、兄は兄でありながら、
父としての役割も引き受けてしまっていたのかもしれない。
そうなってしまったのは、
誰も悪いわけでもなく、
兄も父もがんばった結果なのだ。
父は父で家族のためにがんばった。
兄は兄で兄弟のためにがんばった。
そして、弟である僕は僕で、がんばった。
結果は、どうあれ、みんな一生懸命がんばったんだよな。
そう思うと、やり切れなかった。
みんながんばっていた。
その結果がこうなのだとしたら。
やり切れなかった。
がんばりが、悲劇的な事態を生む。
そういうこともあるんだなと思い知った。
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僕はがんばった結果、
兄の理不尽な要求にも応えねば。
自分を犠牲にしなきゃ価値がない。
意味がない。
そう誓うようになっていた。
その誓いは成長して大人になって必要なくなっても、
自分を縛り、自己犠牲を強いる。
まわりに気を遣い、空気を読み、顔色を伺う。
自分のことは後回しにして、ないがしろ。
それなのに、デカい声を上げ、約束を破るヤツがいる。
僕はこんなに気を遣ってるのに!
僕はやってあげてるのに!!
だから、僕は悲しくなり、
怒りに身体を震わせてしまうのだ。
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この悲劇を繰り返さないために
僕がこれからできることはなんだろう?
そう考えるようになった。
まずは、がんばってきた自分を
ねぎらうこと・いたわることなんじゃないかなと思う。
僕はがんばってきたんだな。
今までとてもがんばってきたんだな。
だから、ここいらで、よくがんばったね。
もうがんばらなくていいんだよ。
って言ってあげよう。
よくがんばったね。
充分だよ。
もうがんばらなくていいんだよ。
これからは自分のために生きようよ。
よくがんばったね。
〜END〜