ぶらやまだ

日々のなかに遊び心を。自分らしさ探求中。

自分が幸せに生きるためのエネルギーは自分自身でつくれる

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つらかった過去を乗り越えるべく、
負けてたまるか!と
生きるエネルギーに換える。

それはものすごく燃え上がるもんだから、
意外とパワフルにがんばれたりするんだよね。

で、気づいたらつらかった過去もとうに忘れていて、
あぁついに乗り越えたのかと思ったら、
今度はこれからなにをエネルギーに
したらいいのかが分からなくなっていた。。。


そんな僕がNVCで気づいたのは、
自分が幸せに生きるためのエネルギーは
自分自身でつくれるんだ
ということ。

* * *

参加していたNVC基礎づくりコース
全6回が先月で終了。

NVCをひとことで言えば、
自然なわかちあいができる関係を自分と他者でつくる方法。

「心の底からの訴えを遠ざけてしまうコミュニケーション」が自分も相手も傷つけている - ぶらやまだ


最後にひとりひとりコメントする時間があって。
参加者のひとりTさん。
そのTさんのコメントのなかに
自分が求めていたことがあったのよ。

シンプルに表すと、
これからの新しいエネルギーは
自分に共感するってこと。

* * *

外部からエネルギー源を持ってくるのでなく、
つらい過去をバネにするのでもなく、
もうすでに自分が自分自身を満たすために
やってることはたくさんあるという。

ささやか過ぎて、小ちゃ過ぎて、
なかなか気づけていないだけで。

おいしいご飯を食べること。
お風呂に入って体を清潔にすること。
あったかい布団で眠ること。

当たり前のことかもしれないけれど、
そのひとつひとつの自分の行動に共感していくと、
あぁ、自分を満たしたかったんだな、私は。
そうか、オレは自分を幸せにしたかったからなのか。
と気づくことができる。

自分が幸せに生きるためのエネルギーは
自分自身でつくれる。
というか、もうすでにつくってる。

* * *

燃やすものはねーかー!?
と、探し回ってた自分にとっては
自分でつくれるだとぉ!?
てか、もう自分でやってるんかい!
って、驚きとともに安堵感があった。

自分に共感すること。
それが僕のこれからの
新しいエネルギーなんだと思ったら、
うれしくてうれしくて仕方なかった。

 

〜END〜

「自分の言葉」にするまで時間がかかってもいい

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自分の気持ちを言葉にするのって時間がかかるなー。
まだ表したことがない気持ちなら、なおさらだ。

時間がないから、やめとこう。
このよく分かんない気持ち、めんどくさい。
言葉が見つからないから、諦めた。

そういう積み重ねで、
自分の気持ちが次第に遠ざかる。
そして、自分の言葉を失くして、
自分自身が見えなくなる。

気づけば、わしゃ誰の人生を生きとるんかいな???
っていうことになってるんじゃないかなって
個人的に思うんすよね。

* * *

遅い、曖昧、ぼんやり、モヤモヤ、、、
それらは今の世の中ではけっこうウザがられる。
速いことやハッキリしたこと、
エッジが効いたことをズバッとみたいなほうが
賞賛されるっていうか。

けど、時間をかけて取り組めば
そのモヤモヤの向こうに
自分のなくてはならないものがあるんだよなー。

誰にでもあるものじゃないものこそが、
自分にとって大切なものなのかなって。
それは誰にでもあるものじゃないがゆえに、
できあいの言葉がないんすよね。

だから、なんて表したらいいのか分からないことが多い。
でも当たり前なのだ、自分しか分からないのだから。

自分しか分からない、
けれど、その自分がなんて表していいのか分からないことを
ていねいに、ていねいに、言葉にしていく作業。

僕が憧れている人やかっけええなって思う人は
そういう作業を各々の方法・やり方で
やってるように思える。


遅くても、時間がかかってもいいから、
焦らずに、誰かと比べずに
自分の言葉を探り当てていきたいなー。


〜END〜

自分の中のやりたくないこと、 違和感こそ大切

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この前書いた自分の生き方の転換。

答えを外に求める生き方から答えは自分の中にある生き方へ - ぶらやまだ


影響を与えてくれたのはカウンセリングと
もうひとつ、Non-violent Communication(NVC)=
共感的コミュニケーション。

現在、NVC基礎づくりコースを受講して学んでいる最中。
NVCについてはこの記事に書いた通り。

「心の底からの訴えを遠ざけてしまうコミュニケーション」が自分も相手も傷つけている - ぶらやまだ

オンラインでの講座で2時間×6回のコース。
参加者は僕も含めて16名。

講師である安納献(ケンさん)の話をもとに
3〜4名の小さなグループに別れて、
各々感想をシェアしあう形で進められていく。

* * *

この講座に申し込んだ当初は
NVC」こそが自分が探していた答えで、
これさえマスターすれば
自分は幸せになれるにちがいないというスタンスだったんすよ。

けれど、この講座の一番最初のケンさんからの
メッセージでそれが大きく揺さぶられちゃいまして。

「やりたくないことは絶対にやらなくていい。」
「みなさん自身の経験、知識を大事にして、違和感や腑に落ちないことも大切にしてほしい。」

え?どういうこと???
NVCの技法を学ぶこと以上に
自分のなかのやりたくない気持ちや
違和感を大切にしてほしいだなんて!

今までにないことだったので面食らった自分がいて。
ただ、日が経つうちに、
カウンセリングで自分のなかを整理して、
自分と相談していたのと相まって、
ふと気づいた。

そっか、僕はずっと答えを外に求めてばかりいたのかぁ。
だから、求めても求めても違和感でいっぱいだったのか。

違和感っていうのは、自分が大切にしたいことがないがしろに
されているというメッセージでもあるんだな。
自分が大切にしたいことを自分自身が見落としてきてたのか。

なら、自分にとっての答えは自分のなかにこそあるんじゃねえの?

* * *

NVCの講座は今日で4回目。
例によって小グループで話してて、
それぞれの話をバラバラに違った人生・背景があるなあと
噛み締めながら聞いてた。

ただ、バラバラながらも互いに通づる共通点らしきものがあって。
それはなにかといえば、
ひとつの価値観や考えを強制されることをよしとせず、

自分で取捨選択できる自主・自律性を大切にしていること。

強制されず押し付けられず、
自分の裁量で行動ができるんだという
ある程度の「あそび」があるからこそ、
自分も相手も尊重できるんじゃないかな?

* * *

僕はひとりひとりが

自分のやりたくないことや

違和感を大切にしてもいい場が

好きだ!

次回も自分のやりたくないこと、
違和感を大切にしつつ、楽しみたいな〜

 

〜END〜

答えを外に求める生き方から答えは自分の中にある生き方へ

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これでいいですか?
どうしたらいいですか?
答えを教えてくれませんか?

これまでずっとこうやって生きてきた気がする。
答えを求めにセッセと
外に出歩いていた時期もあった。

答えをまわりに求めておいて、
返ってきた答えに対して、
う〜ん、違うんだよな~と腹を立てることもしばしば。

アドバイスしてくれよ!って頼んでおいて、
そうじゃない!!って不満を抱えるっていう、、、。
わしゃ、いったいなんじゃいなww

* * * 

んで、ついここ最近、
カウンセリングを受けるようになり、
自分と相談するようになって、
この自分のおかしな状態にはたと気づいた。

あれ?答えを外に求めてるっつーのが
そもそも間違ってたんじゃね???と。

自分にとっての答えは
自分しか分からないんじゃないかな?
答えは自分の中にあるのでは?

自分にとっての正解はまわりの誰かに聞いても分からんですよね。
返ってきたとしても、それはその人の正解であって、自分のじゃない。
だから、違うんだよな~と違和感があって当然だったわけだ。

自分はどうしたい?
なにができそう?
自分がこうありたいイメージってどんなだろう?

まわりの誰かに聞き回ってた姿勢から
自分が自分自身に問いかける姿勢に
少しずつ変わってきているなーと。

* * *

答えを外に求める生き方から、
答えは自分の中にある生き方へ。

なんかこっちの生き方のほうが
自分とつながれて、そして喜んでくれる。
そんな感覚があるのだ。

 

cotree.jp

soar-world.com

 

〜END〜

自分で自分のことを語る→整理される→行動できる

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少し前までカウセリングに通っていることを
恥ずかしいことだと思ってました。
自分のなかに、思い込みがあったんですよ。
カウンセリングは病気や弱っている人が受けるものだ、っていうね。

だから、まわりの人もそう思ってるに違いないんでしょ?
病気の人だと思われたらなんか恥ずかしい!耐えられない!
そう思ってました。

でね、その感覚が変わったのは
なんせカウセリングの時間が楽しいから。

* * *

自分にとってのカウンセリングとは、
自分が自分のことを語ることで
グチャグチャだったものが整っていくということ。
これがもうたまらなく喜びなのですよ!!

というか、その最中って、
自分のことに集中しまくってて、
とにかく夢中なんですよ。
んで、夢中になってカウンセラーとやりとりしてると
時間があっという間に過ぎている。
1時間が10分くらいの感覚。

え!?もう時間??もっと話したい!って気持ちになって、
この時に「あっ!今僕は夢中だったんだな」と気づいて、
これが自分にとって喜びなんすよね。

時間を忘れて無我夢中、
この状態って自分がこれをやりてえぞ〜!
って自分自身が訴えてると思ってて。

そのくらい、自分のことを自分の口で話すことをしてこなかった、
自分の欲求や願望をアウトプットしてこなかった
っていうことでもあると思うんですよね。
それは自分に対して謝りたいっすね〜。

* * *

思うに、なにかしら病的である人っていうのは、
自分のなかでいろんな思考や考えがグチャグチャになってて、
もう収集がつかない状態になっている人なんだと思うんですよ。

自分が自分の言動を理解できない、認められない。
結果、自己不信や自己否定の無限ループに陥ってしまうんじゃないかな。

自分にとってカウンセリングは
そのグチャグチャ状態を整理する絶好の場だと思う。
整理すると、じゃあ自分がなにをするといいのか
自ずと分かってくる感じ。

仕事で広告のデザインをしてるんだけど、
なににおもしろさを感じてるのかといえば、
たくさんの情報を整理しているときだなって改めて気づいた。

僕は整える、整理する、秩序立てることが好きなんだ。

cotree.jp

note.mu

 

〜END〜

自分が生きることを楽しむために欠かせないことってなあに?

ここずっと自己理解やコーチング、カウンセリングに
自分の時間を投入してみて、分かってきたことは
僕は自分のなかを整えたい、整理したいんだってことなのだ。

親の期待やら学校教育やら世間体やら、
一般的に世の中でいいとされていることみたいなもん、
そういうもんをなんでもかんでも浴びまくって35年。
ぐっちゃぐっちゃになってるのよねー。

自分にとって心地いいもの、合っているものを
選べばよかったんだろうけれど、
その選択眼や判断基準もグチャグチャのドロドロ〜ンになっていて、
だから、この状態が気持ち悪いんじゃーーーー!!!
と自分のなかの自分が叫んでいるなと思って、
そそくさと整えることをやり始めていたわけだ。
書いてて自分でもようやく自分の行動を理解できたぞ。

んで、整えてきたなかで見えてきたのは、
「自分が生きることを楽しむために欠かせないことってなあに?」
っていう問いを今自分に投げかけている段階。

 


おぼろげながらも書き出してみると、

・自分の話を最後まで否定せずに聞いてくれて、
関心をもって問いを投げかけてくれる存在

・没頭できること、夢中になれること

 

 

没頭力 「なんかつまらない」を解決する技術

没頭力 「なんかつまらない」を解決する技術

 

没頭できること、夢中になれることについては

この本が参考になった。

 

マーティン・セリグマンという心理学者が提唱したポジティブ心理学

そこで、人が幸福を感じるための要素は

「快楽」「意味」「没頭」であると定義した。


没頭=夢中になっていること、時間を忘れてのめり込んでしまうこと。


これを読んで「僕は没頭したいんだ!」って思った。
僕にとっては快楽が没頭じゃねえかと気づいたんすよね。

 

なにに自分は没頭できるのかなと振り返ってみると、

今やってるな〜と。

グチャグチャになっている状態を整えること。

カオスに秩序をもたらすこと。

 

自分が楽しくなることはもうすでに自分がやっていたんだな〜

 

〜END〜

ミレニアル世代とオンラインカウンセリング

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社会に出て働くことで、
思いもしなかったやりがいや楽しみが見つけられたりする。
その一方で、楽しいことばかりでなく、
禍々しい邪悪なるものの存在も確認することができるなと思うんです。
 
その一例が、忖度ばかりにエネルギーを使ってしまう組織であったり、
法律を無視したり、違法行為を平然と行ってしまうようなブラックな企業でしょう。
 
邪悪なるもの、っていうのは、
つまりは、人のエネルギーを奪ってしまうもの、
信用信頼を平気で裏切ってしまう人だと僕は思っとります。
 
生きていくうえで、
そういう邪悪さとは全く無関係ではいられないなあ
とよく思うんですよね。
 
 * * *
 
「ミレニアル世代」という言葉がありまして。
2000年代以降に社会人になった世代、
あるいは1980〜2000年に生まれた世代で
デジタルなものに触れて育ってきたカテゴリーのことを指すようで。
(いろいろ定義はあるみたい)
 
1983年生まれの僕もこの世代に入ります。
思うに、ミレニアル世代は邪悪なるものに敏感だと思うんですよ。
なんでかと考えてみると、
食うことに困っていない、
欲しいモノに飛びつかない、
地位や権力にも興味がない。
 
だから、邪悪なるものに汚染されながらも
我慢して生きることに違和感を感じやすいんだと思う。
…なんかおかしくね?
この感じ、気持ち悪ぃなあ…
みたいな感じで。
 
加えて、その邪悪さから抜け出す術を探せる感覚も持ち併せていると思う。
それが「困ったら専門家に相談してみる」
 
邪悪さに蝕まれつつある時って、
自分ひとりでは判断することが難しい状態になってるんすよね。
邪悪さの影響で自分が不調をきたしてしまうから。
そんなときに自分の状態を整えられるのが
「困ったら専門家に相談してみる」という選択。
具体的にはカウンセリングやコーチング。
 
僕が実際に利用したものだと、
そうだんドットミーcotreeが挙げられます。
(おそらく他にもまだまだあると思う)
 
 

 
もともと僕自身、カウンセリングやコーチングって言うと
ちょっと縁遠いもののイメージがあったんですよね。
でも、自宅で受けられて、予約もめちゃ簡単なところが
心理的なハードルがグッと下がる感じがしたんですよ。
 
この2つのサービスに共通するのが
全てがオンラインで完結していること。
相談はもちろん、予約から支払いまでがweb上で済んでしまう。
つまり、利用する人の前提として、
オンラインで完結することに抵抗がないってことですよね。
 
自分の不調や違和感を感知することに長け、
デジタルでサービスを受けることがふつうな感覚のミレニアル世代と
オンラインでのカウンセリング、コーチングはとても親和性が高いと思う。
今後オンラインで相談できるサービスはさらに増えていくんじゃないかな。
 
カウンセリングもコーチングもまだまだ日本では一般的ではないけれど、
これから日本の土壌に合わせて新しい相談の形が登場し、
それが当たり前になっていく予感がするな。
 
* * *
 
食うことに困らなくなり、欲しいモノに飛びつかなくなり、地位や権力にも興味がない。
僕らの世代ですらそうなのだから、下の世代はもっともっと顕著になってくる。
だとしたら、これから求められるのは
自分が自分らしく生きられることを支援する組織、サービスなんじゃないかな。
 
 
〜END〜
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