ネガティブな刺激でもいいからくれよ
小学校の版画の授業と彫刻刀セットの思い出
小学生が版画で彫りそうなタッチを表現するクラブ。
それがロバートの「小学生版画クラブ」。
めっちゃ顔バキバキwww
笛ひんまがりwww
こういう版画、確かに小学生のときに作ってたわー。
運動会で綱引きしてるところとか、さつまいも掘りしてるところとか。
いずれも顔がすげえ形相になってたり、人より芋の方がデカかったりして、でも、そういう異様なダイナミックさが褒められたりするんだよね。
実際、なんか街のコンクールで賞をもらった気がするー。
で、小学校の版画といえば、彫刻刀セット。
オシャレを気取って逆にダサい彫刻刀セットですな。
ぼくの時代でさえも、持ち手が木じゃなく、ラバー製のスタイリッシュを身にまとった彫刻刀が流行ってたなあ。
今考えると普通に木のやつでいいだろうって思うんだけどね。
この21世紀の今も彫刻刀セットは健在なのかな?と調べてみると、心配もなんのその、あるではありませんか。それも一層パワーアップして。
彫刻刀セット ドラゴン。
なんと、万が一の時にケガをしにくい安全カバー付きだそうで。
手元のレバーをスライドさせると出し入れが自由自在。
、、、すげえ。でも、これ以上の進化したら、もはや彫刻刀なのかなんなのかよくわかんないや。
女の子にはこちら。
なんで不思議の国のアリスなのかは謎ですが。。。
なんだかんだいっても、やっぱドラゴンはカッケエエな。
〜END〜
お笑い芸人かまいたちの漫才が教えてくれた、人をバカにする人間の心理
寒いときに自販機におしるこが売ってるとマジ嬉しい件
ねえ「牛」飼ってる?〜ブッダとお百姓さんのおはなし
つい先日、なんでも、ブッダの有名なエピソードだっつーはなしを聞いたッス。
ブッダなんて手塚治虫のマンガを少しかじった程度で、よく知らなかったんだけれど、そのはなしが奥が深かったので、山田の超訳でご紹介。
あるところに、ボンビーなお百姓さんがいました。
全財産は3頭の牛と、2ヘクタールのごま畑。
それが、彼の幸せを支えておりました。
が、しかし!
ある年、ごま畑は害虫にメチャメチャに破壊されちまい、牛たちも逃げ出す事態が発生!!
お百姓さんはてーへんだー!つって、牛を探し求めている最中、森の中で弟子たちと静かに坐っているブッダに出会いました。
「おらの牛さ見かけなかったべか?」ブッダは見かけなかったと答えました。
するとお百姓さんは「ああ、おらの人生はもう終わりだっぺよー。おらにはなんも残ってねえもんでよお。だもんで、命を絶つしかねえっぺよ」と嘆きだしました。
哀れに思ったブッダは反対方向を指差し
「牛はあっちへ行ったと思いますよ」とお百姓さんを元気づけました。
去るお百姓さんの姿を見送り、弟子たちに語りました。
「失くす牛を持っていない私たちは、とてもラッキーです。牛を持っているから、苦しみは生じるのです」
~END~
いろんな解釈ができると思うけど、ぼくはこう思ったど。
この「牛」って、生き物の牛にとどまらず、自分の中の価値観とか思想にも当てはまるよね。自分にとってなくてはならないものとして「牛=価値観、思想」を持つ。持つことでそれが自分の支えやよりどころになるんだと思う。けれど、持つってことは同時に失くす可能性もはらんでいるわけで。もしなにかのきっかけで失くす事態が起きてしまうと、お百姓さんのように「おらの人生もう終わりだっぺよー」と絶望してしまうことにもなるんだろうな。
で、このはなしを聞いて、ぼく自身の中にも自分でも知らないうちに飼い始めた「牛」がいるなあと思った。でも、それがどんな牛なのかハッキリと自覚してなくて。。。自分はどんな牛を飼っているんだろう。ちょっと観察してみよう。モー
以上!
よい仕事は「スケジュールを引く」ことから
映画『舟を編む』を観て感じた人の心の機微 怒りが混じり合ったうれしさ
喜怒哀楽の「喜」と「怒」。一見すると相半する感情。プラスとマイナス。水と油。混じり合うことなんて、ないものかと思っていた。でも、人ってそこをぽーんと飛び越えて「喜」と「怒」を同時に表現する生き物でもあるんだなあと。
三浦しをん原作『舟を編む』という映画を観ました。
そのなかのワンシーン。主人公、馬締光也(松田龍平)がひそかに想いを寄せるヒロイン(宮崎あおい)に思い切ってラブレターを渡す場面。
主人公は自分の想いの丈を精一杯綴るんだけれど、極度なコミュ障なせいか、時代劇に出てくるような筆書きのお便りをしたためてしまう。
渡されても、は?なにこれ?いつの時代???って感じで(笑)
案の定渡されたヒロインは困ってしまい、でも、なんとか読みたいと考えて職場の上司にその手紙の内容を解読してもらうようにお願いする。(←健気ですな)中身はラブレターなのに(笑)!!!
で、上司に読んでもらったら、それが真面目な恋文だときたもんだから、さあ大変!どんだけ赤っ恥をかいたことでしょう!
その後、返事を待っていた主人公のもとへ向かい、事の顛末を一気呵成に畳み掛ける。こんなの渡されても読めねーし!!上司に読んでもらったらラブレターだっつーしよ!!こういうのって自分以外の誰かに読まれたら恥ずいじゃん、ヘタこいたー!!(意訳)。静かにブチギレる(笑)
でも、ブチギレながらも、実はヒロインは前々から主人公の変わったところに好意があって、だから、これが恋文ってどうかしてるぜ~と怒りながらも、同時に自分宛てのラブレターでもそれが如何なく発揮されていたことに対して、うれしさもにじんでいたんですよね。
結果、ふたりはお付き合いし始め、夫婦になっていく様子が物語では描かれていました。
このシーンを観て、喜怒哀楽の「喜」と「怒」って一緒に表現されることもあるんだなあと。きっと自分やまわりの人たちもひとつに限らない混じりあった感情を表していることってあるんだろうけれど、なかなか気づかないもので。
一見すると相半する感情で、混じり合うことなんて、ないものかと思っていた。けれど、人って「喜」と「怒」を同時に表現する生き物でもあるんだなあと、なんだかそこがおもしろくて、おかしかった。
以上!