ぶらやまだ

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その当時、めっちゃ田舎の江戸にあえて街を開いた徳川家康。それにはある決め手があった。山田芳裕「へうげもの」。

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東に「青竜」たる川
西に「白虎」たる道
南に「朱雀」たる海
北に「玄武」たる山


「へうげもの」7巻 第六十九席 男のMAN TO MANより

 

この条件が揃っているのが最良の方位。
それを関東に当てはめてみたところ
条件を満たしていたのが
まさに江戸だったんですね。

山田芳裕さんのマンガ「へうげもの」。


室町戦国期、
豊臣秀吉が天下を手中に治めつつあるとき
徳川家康は関東に移されることになる。

その時代、関東一円は
水はけが悪く、辺りに葦が生い茂るような
貧しい土地だった。

徳川家臣たちは憤りを隠せなかったが
家康だけは関東という地に
大きな可能性を見いだしていたー。

というのが、
山田芳裕さんのマンガ「へうげもの」で
読んだおおまかな内容。

 

戦国時代に生きた人たちの美意識がテーマ。


このマンガの主人公、
古田織部は織田信長に遣える戦国武将。

織田信長や千利休に影響を受け、
「武」よりも「美」や「わび数寄」に傾倒し、
天下一の「へうげもの」を目指すというお話し。
(へうげる=ふざける・おどけるという意)

焼き物の代表格、織部焼きは
この古田織部が創作したものなんですね。

このマンガ、主人公の他にも
どえらい感性の持ち主が
いっぱい登場してくるんです。

先に書いた、徳川家康もそのひとりで。

 

鎌倉でもなく小田原でもなく、江戸がいいね。


さて、関東に移された家康、
自分らの街をつくるにあたって
どこを中心地とするか思案します。

その頃、関東には
源頼朝が幕府を置いた鎌倉や
北条氏が治めていた小田原が
すでにある程度の街として
出来上がっていたのだけれど。

家康は今の皇居がある地に居城を築き
そこを中心地として江戸という街を開いていく。

その際にアドバイザー的立場にいたのが
天海という僧侶。

「へうげもの」では、この坊さんが
江戸のグランドデザインを描いて
家康を喜ばせていた。

それをざっくり書き出してみたのが
最初にあげていた図なのでした。

 

草っぱらが江戸へ、そして東京に。

 

どこでもいいってわけじゃないし、
その当時の勘だけに頼って設計してるわけでもなくて
ちゃんと考え抜かれていたわけです。

これ調べてみると
「四神相応」というらしく、
古代中国、唐の都も
そういう考え方で出来ているんですって。
相当長い歴史があるんだなあ。

辺り一面草っぱらでしかなかった場所を
家康は開いて江戸という街をつくって、
それが現在の東京という
世界有数の都市になっているという。

家康ってすごいね!

 


山田芳裕さん「へうげもの」は
マンガなので、歴史が苦手でも
おもしろく読めると思いますよ〜

へうげもの(1) (モーニング KC)

へうげもの(1) (モーニング KC)

 

 
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