対話することで病気が回復する「オープンダイアローグ」。閉じられているものを開いていくということの効果。
恥ずかしい告白なんだけれど、
ボク30年生きてきて、やっと、
人間ってすんげえええ色んな人が
いるんだよなあって気づきはじめたところなんですよね。
頭がいい人、行動力がハンパない人、
自給自足の暮らしをしようとする人、
耳が聞こえない人、親から虐待を受けた過去がある人、、、
気づく以前は、だいたいみんな一緒でしょって思ってて、
生きているひとりひとりにそれぞれ事情があるなんてことは
夢にも思わなくて。。。
対話することで病気が回復する「オープンダイアローグ」。
で、気づきはじめると不思議なもので、
自然と「見える」ように、
「目に入ってくる」ようになるんでしょうね。
最近、ニュースアプリを見てて
記事の見出しで気になったのがあって。
それが「オープンダイアローグ」という言葉。
「オープンダイアローグ」は、フィンランドで採用されている新しい統合失調の治療法だ。
どういうものか?
「薬を一切使わず、会話だけで治してしまう」というもの。
“まず、「うちの子がちょっとおかしいんです」みたいな訴えがあると、24時間以内に必ずチームを組んで駆けつける”。
そして、このチームが、“患者と患者にとって重要な人々(家族、友人、親戚、現場当医などその他の専門家)と共に集まって、車座で座り、そこで開かれた対話がなされるわけです”。
対話が、「独り言(モノローグ)」を開くというのだ。
“統合失調症やそのほかの病理をかかえた人ほど、モノローグに陥りやすい”。
応えの返ってこない独り言を続ける。勘繰りがはじまってしまう。
この独り言を開くのが、「開かれた対話」なのだ。
な、なんと、会話、対話をするだけで
薬を使わずに病気が回復していく、らしい。
むむむ、これはどういうことなんだろう。
コミュニケーションの成立が人を社会化に向かわせる。
で、さらに別の記事も。
「オープンダイアローグというアプローチにおいては、コミュニケーションが成立すると、自ずと人は社会化されるという信頼が原点にあると言っていいと思う。つまり裏返せば、極端な言い方ですが、ダイアローグは健常でモノローグは病的であるという発想です。統合失調症や、その他の病理を抱えた人ほどモノローグになりやすい。答えの返ってこない独話を延々と続けやすいということがここでのポイントで、誰かがそれに答える必要があるのです」
大事なのは、ただ語ったり言語化したりすることではなくて、あくまでも「対話をする」ということなのです。
コミュニケーションの成立が人を社会化に向かわせる、
という指摘に思わずうんうんと頷いてしまう自分がいて。
ボクも話すのがうまいほうじゃないから、
人と積極的に会話するってこともなくて、
でも、人と応答できたときってシンプルに嬉しいんだよなあ。
やりとりできた、交換できた、交信できた、交流できた、
そういうのって、ただただ嬉しいんだよなあ。
この「オープンダイアローグ」は
主に統合失調症の人を治癒する手法として紹介されているけれど、
これってそこまで病気ってわけじゃないけど、
ちょっと閉じこもり気味の人にも
効果があるんじゃないかなと思うのですが。
橋本久仁彦さんの円坐も集まった人たちで車座になる、それだけ。
これに似た対話の方法に、
橋本久仁彦さんのエンカウンターグループ、円坐がパッと浮かんで。
西村佳哲さん経由で知った方なのですが、
カール・ロジャーズという心理学者が
考案したというエンカウンターグループを取り入れていて、
それを橋本さん流にアレンジしたのが円坐というもので。
どういうものかといったら、
集まった人たちで車座になる、それだけ。
あとは何をしてもいい、何が起きてもいい。
ただ座ってるだけなんだけど、
人間同士がひとつの場に座っているそれだけで
実はもう応答しあっているってことが感じられたりして。
いや、全然説明になってないんですけどね、、、。
別の機会にもうちょっと詳しく書いてみようかな。
大阪にあるフェンスワークスってところを
ベースに活動されているのでピンときた方はのぞいてみては。