隠すことに目を向けるよりも開放感や喜びのほうへ
30を過ぎたあたりから
耳にするようになってきて。
「実はあの人は○○っぽいんだよねー」という具合に。
今までを振りかえってみれば
あれ?あの人もそうだったのかもしれないな、
と思い浮かんだりもして。
「いつまでも残業していたい病」や
「人からの頼みごとは断れない病」みたいな
医学的病名はつかないけれど、
常軌を逸していた人たちは無数にいたな。
自分だって例外じゃなくて、なにかしらの病的傾向は必ずあると思う。
というか、人間なら誰しもが独自の病的傾向を持っていて、
それが社会的に有用なら「個性」とか「才能」って言われるんじゃないかな。
そうでない場合は「病気」や「欠損」として扱われてしまうような。
「病気」や「欠損」と見られたくないから隠して生きていくことになって、
そうして生きることが後になってどれほど自身の精神と身体を壊してしまうか、
ボロボロになってからしか気づけない場合が多いと思う。
隠すのってつらいな。
誰かがそうするのも、自分の場合も。
隠すことに目を向けるよりも
誰かに打ち明けられたとき。
自分だけじゃないと思えたとき。
そういうときの開放感や喜びのほうへ向かいたい。