ねえ「牛」飼ってる?〜ブッダとお百姓さんのおはなし
つい先日、なんでも、ブッダの有名なエピソードだっつーはなしを聞いたッス。
ブッダなんて手塚治虫のマンガを少しかじった程度で、よく知らなかったんだけれど、そのはなしが奥が深かったので、山田の超訳でご紹介。
あるところに、ボンビーなお百姓さんがいました。
全財産は3頭の牛と、2ヘクタールのごま畑。
それが、彼の幸せを支えておりました。
が、しかし!
ある年、ごま畑は害虫にメチャメチャに破壊されちまい、牛たちも逃げ出す事態が発生!!
お百姓さんはてーへんだー!つって、牛を探し求めている最中、森の中で弟子たちと静かに坐っているブッダに出会いました。
「おらの牛さ見かけなかったべか?」ブッダは見かけなかったと答えました。
するとお百姓さんは「ああ、おらの人生はもう終わりだっぺよー。おらにはなんも残ってねえもんでよお。だもんで、命を絶つしかねえっぺよ」と嘆きだしました。
哀れに思ったブッダは反対方向を指差し
「牛はあっちへ行ったと思いますよ」とお百姓さんを元気づけました。
去るお百姓さんの姿を見送り、弟子たちに語りました。
「失くす牛を持っていない私たちは、とてもラッキーです。牛を持っているから、苦しみは生じるのです」
~END~
いろんな解釈ができると思うけど、ぼくはこう思ったど。
この「牛」って、生き物の牛にとどまらず、自分の中の価値観とか思想にも当てはまるよね。自分にとってなくてはならないものとして「牛=価値観、思想」を持つ。持つことでそれが自分の支えやよりどころになるんだと思う。けれど、持つってことは同時に失くす可能性もはらんでいるわけで。もしなにかのきっかけで失くす事態が起きてしまうと、お百姓さんのように「おらの人生もう終わりだっぺよー」と絶望してしまうことにもなるんだろうな。
で、このはなしを聞いて、ぼく自身の中にも自分でも知らないうちに飼い始めた「牛」がいるなあと思った。でも、それがどんな牛なのかハッキリと自覚してなくて。。。自分はどんな牛を飼っているんだろう。ちょっと観察してみよう。モー
以上!