文章の読み書きができるのは当たり前なことなんだろうか?
文章を読んで、それを理解すること。その行為は日本の学校教育を受けた人ならみんな当たり前のようにできることだと思っていた。
けれど、実は意外と誰もができるわけじゃないのでは?
電話や会うことにこだわる人の謎
というのも、仕事で未だに電話や直接会って打ち合わせをしたがる人が多いなあと。人と人だからやっぱり会って話すのは大切なことだと思う。けれど、それに固執する必要はなくて、場合によってはメールやメッセージで十分なことも多い。
今の時代メール、メッセージっていう便利なツールがある。電話や実際に会うにはその分時間とタイミングが必要だけれど、メール、メッセージはそれがいらない。それに、記録として残るので言った言わないになることもない。毎月、毎週のような定期的な仕事なら、なにか特別なことがない限りメール、メッセージで十分。けど、それを嫌って電話や会うことにこだわる人がけっこういるんだよな。
なんでだろう?メール、メッセージのほうがはるかに便利なんだけどな?
そこで思ったのは、文章を読んでそれを理解すること、これが不得手なのではないかな?ということ。ブログでもそうだけど、書いていないことを挙げつらって文句や罵倒したりする人。自分勝手に解釈してしまう人がいる。そういう人って、文字それ自体は読めても文脈や前後の連なりを理解することが難しいのかなって。単語にとらわれて全体を見ることが苦手、木を見て森を見ずというか。
ぼく自身も全くないわけじゃなくて、でも、そういうときって、よく読めば分かるのに、読み間違えていたり、なにか過度に期待しすぎていたせいで裏切られたと思い込んだり。その文章のせいじゃなく、読み手の誤読なんだよね。
読み書きが困難な障害、ディスレクシア
それに関連するか定かではないけど、文章を読み書きすることが困難な人がいるというのをこの前知った。ディスレクシアというそう。
ディスレクシアとは
ディスレクシアとは、知的に問題はないものの読み書きの能力に著しい困難を持つ症状を言います。
充分な教育の機会があり、視覚・聴覚の器官の異常が無いにも関わらず症状が現れた場合に称します。
一般的な特徴
- 読み書きの困難があります
- 日本でも人口の5%から8%はいます。欧米では10%から15%と言われています。
- ぜんぜん読めないのではなく、正確さと流暢さに問題があります
- LD(learning disabilities-学習障害)というよりは(learning difference, difficulties)とエッジでは捉えています
- 音と記号である文字をつなげる能力(音韻認識)が弱いです。
- 記号である文字の形や構成している部分を正しく認識できません。
- ディス(dys)はギリシャ語の「困難」「欠如」という意味、lexiaは「読む」という意味です。
サイトによってまちまちだけれど、読み書き困難な人は日本だと4.5~8%いるんだってよ。100人中4~8人って多くねえ?そういえば、学校の習字の時間にお手本と全然違うやん!っていう字を書いてた同級生がいたのを思い出したけど、あの子ももしかしたらそうだったのかもしれないなあ。
なんか日本人って識字率が高い~みたいに言われてるけれど、読み書き困難な人が実は4.5~8%いるって、これ驚きっすよ。もしかしたら、電話や会うことに執拗にこだわる人のなかには、実はディスレクシアな人もいるんじゃないかな?文章が読めないから、話し言葉を求めているのかもという仮定ですが。
多くの人ができる。だから全員ができて当然、当たり前。って思ってたけど、必ずしもそういうわけじゃないんだなー。
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仙台でイラストも描けるデザイナーとして活動しています。
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