TBSドラマ「カルテット」 彼らにムカつくのは、自分も本当はそうしたいから
自分の中で常識になっていることを平然と破っている人を見ると、ハラワタが煮えくり返るほどにムカつくことがある。
もう許せなくてイライラして、一日中その相手のことで頭がいっぱいになったり。
落ち着いて、冷静に考えてみると、そんなにもムカついて頭から離れなくなってしまうのは、ホントは自分もそうしたいからなんじゃないのかな。
心のどこかでは、 憧れて、羨ましく思っていたりする。
TBSドラマ「カルテット」の最終回。
おもしろくて初回から観ていたのだけれど、最後にとても印象的なシーンがあった。
それはカルテットの演奏を聴いたお客さんからの手紙を読む場面。
手紙はカルテットの演奏を酷評する形で始まる。
優れた奏者以外を、なんの価値も意味も必要もない「煙突から出た煙のようなもの」と切り捨てる。
どうやら手紙の主も音楽を志していた人らしく、けれど、自らは優れた奏者にはなれないと悟り、音楽から身を引いた背景があるようだ。
そして一転、カルテットに対し、問う。
なぜ、あなたたちのような「煙の分際」が奏者を続けるのか、音楽をやめないのか、と。
どうしてやめないんですか?煙の分際で、続けることにいったいなんの意味があるんだろう。この疑問は、この一年間ずっと私の頭の中から離れません。教えてください。価値はあると思いますか?意味はあると思いますか?将来はあると思いますか?なぜ続けるんですか?なぜやめないんですか?なぜ?教えてください。お願いします。
このメッセージが興味深いのは、手紙のはじめは不快感と怒りを表明していながら、最後には問いとお願いで結ばれていることだ。
あなたたちの演奏になんの価値も意味もない煙だと切り捨てながら、ある種の憧れ、羨望の眼差しを向けているように思える。
おまえらめっちゃムカつく!!!、、、けど、、、本当言うと羨ましい!!!自分もどんなにそんなふうに生きられたらって。
どうしようもなくムカついてしまう感情の裏側には自分の本音が隠れているのかもしれないなあ。
だとしたら、向かうベクトルは目の前の相手じゃなくて、自分の中にいつの間にかインプットされた常識ってやつなんだろう。
最終回、視聴できるよん★
〜END〜