ボクたちはどうして「話す」ことができるんだろう?そこに「聞く」人がいてくれるから。
話すのがすごい苦手。
変に緊張してしまって、滑舌も悪いし、
話しの順番もめちゃくちゃで伝わらないことが多くて。
初対面の人やよく知らない人の前ではなおさらダメダメで。
そういう自分がとても情けないなあと思っていたことがあった。
(今でもたまに。。。)
「話す」ことがうまくなれたら、、、と思うよりも
なぜかそうでなくて、
「聞く」ことってどうなんだろうな?と関心を向けている自分がいた。
たぶんきっと、聞いてもらう人によって、
話す側の緊張の度合いや言葉の発し方が変わってくることが
なんとなく自分で分かっていたから。
「話す」よりも「聞く」ほうに興味があるのかも。
そんな人に読んでもらいたくて今日はこの記事を書きました。
「聞く」ことがその人を浮き彫りにする。ヒビノケイコさんの「聞く」。
ヒビノケイコさんという方のブログを読んでいました。
主に移住や田舎暮らしや新しいライフスタイルのことを
ほのぼのとしたイラストを添えて記事にされています。
この内容とイラスト数点をほぼ毎日のように更新してるのだから、
日々のなかで自分から「発見」だったり「気づき」みたいなことを
見つけるのがとても好きなんだろうなと。
ボクが目にとまった記事。
一般的には「話すこと」がフォーカスされがちだけど、「聞く」こともすごく大事だと思う。自分自身がこの人と話してすごくよかった、という体験を思い出してみると、向こうから答えらしきものを提示された時よりも「深いところで聞いてもらって、自分で答えを見つけた時」だからだ。
相手からこうしたらとか提示されるんでなく、
聞いてもらって、どんどん言葉を吐き出しているうちに
自分だけでは明確になっていなかった想いが飛び出してきて。
そのうちに、そうそうこれを言いたかったんだってなることが。
それが「聞く」チカラのひとつだとボクも思う。
小さい頃から「人の気持ちを想像してみなさい」と教えられた。でも、ほんとかな?と思う。
わたしは 「人と自分は成り立ちも思考回路もまったく違い、想像できないものだ」と感じている。人の気持ちに寄り添うことは大事だけど、重ねて同じように接するとずれてしまうことがある。だからこそ「わからないことをわかりたい。理解したい。相手をもっと知りたい」その気持ちが出てくる。 ただ純粋な好奇心を持って相手の話を聞いていると その人がどんな人なのか、こちらの想像を超えたリアルな輪郭が浮き彫りになってくる。
「分かる分かる」とか「アナタと同じ気持ちです」などと
軽々しく言われたりすると違和感を覚えるときがある。
こちらの気持ちを分かろうとしての行為かもしれないけれど、
ボクの場合、気持ちを分かってほしいというより、
まずは肯定でも否定でもなく、
わたしの気持ちがあるということをただ知ってほしい。
それを「なかったこと」にしないでほしいっていう
願いのようなものはあるような気がする。
「聞いている」から現れる。濱口竜介さんの「聞く」。
ヒビノさんのブログを読んでいて、思い出したのは、
以前にブログに書いた『ハッピーアワー』の濱口竜介監督の言葉。
ワークショップのレポートにあった言葉を引用します。
実際に話題にされていること、言葉にされていることは他愛もないことだけど、その人自身の声であることを疑わせないような、とてもクリアな濁りのない声が、現れることがある。
こういう声が何で出てくるんだろうかと酒井と話したときに、非常に当たり前のことを確認しました。それは、僕たちが「聞いている」からこの声は現れて来るんだ、ということです。僕たちがどんな人間であるか、ということはそれほど関係なく、「聞かれている」「話してもいいんだ」という実感を向こうが持てたときに、こうした声はスッと現れてくるんだという感覚を持ちました。
KIITOアーティスト・イン・レジデンス2013「濱口竜介 即興演技ワークショップ in Kobe」成果発表:自分が誰なのか言ってごらん? レポートより
ここでも「聞く」存在がいるから、話してしまうということが。
でも、間違いたくないのは、聞く側が聞いていればいいってわけじゃなくて、
話す側が「聞いてくれているな」と思えると、話せるということ。
聞く側が上なわけでも、偉いわけでもない。
けれど、やはり「聞く」存在のチカラは確かにあることが伝わってきますね。
きいてくれるからはなせる。西村佳哲さんの「聞く」。
最後にボクの「聞く」ことの先生、西村佳哲さんの言葉を。
ここからボクのなかの「聞く」ことへの目覚めは始まっているように思います。
わたしたちは「はなす」ことで、思いやアイデアを伝え・分かち合います。
それがプロジェクトや仕事になり、ひいては社会を形づくってゆくわけですが、話すことはかなり全面的に相手の「きく」力に依存していると思います。きいてくれる人がいるから、わたしたちは「はなせる」のではないでしょうか。
つまり身の回りの小さな関係性も、これからの社会も、どちらも人の話を「きける」人の存在にかかっているのでは?
2012年 インタビューのワークショップより
話すことが苦手だから、、、と沈んでいた
当時のボクにとってはとても勇気が湧いたのでした。
話すことが苦手なら聞いてみる。
そういう生き方もアリなのでは?
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