ぶらやまだ

日々のなかに遊び心を。仙台/歴史・地形/イラストとか。

合わない人を好きになれない自分に罪悪感をもたなくてもいい理由。

自分が他の人に合わないなあ、苦手だなあと思われていたとして、

それなのに無理に好きに「なろう」とされていたら、ツラいから。

 

もちろん、好きに「なって」くれたらすごい嬉しい!!

けれど、好きに「なろう」だったら、

それはお互いが不幸だなあと。

 

ボク自身が好きに「なろう」としていた。

人とうまくやらなくちゃいけない、

みんなと仲良くしなくちゃいけないみたいな思いが

子どもの頃から強くて。

 

実際のところ、小学校くらいまでは

人づきあいが苦になるなんて思ってもみなかったほどで。

 

けれど、中学生以降、歳を重ねるにつれて

それが難しくなっていって。

悩んだりもしたり。

 

「いばや通信」という

家を持たない生活を記事にしているブログを読んでいたら

ちょうどそれを見透かしたような内容が。

 

ibaya.hatenablog.com

来場者「坂爪さんはいろいろなひとと会う生活をしていると思うのですが、初対面のひとに会う時とか、初対面のひとの家に泊まるときとか、ああ、このひとはちょっと苦手なタイプだなあと思うひとと出会ったときはどうするのですか?」
 
坂爪「帰ります」
 
来場者「帰るんですね」
 
坂爪「帰ります」
 
来場者「罪悪感とかはないですか」
 
坂爪「最初はいろいろ思うこともあったのですが、いまではあまり罪悪感を持つようなことは少なくなりました。乱暴なたとえ話かもしれませんが、デパートなどを歩いていて、暇で、なんとなくはいった店が自分の好みと違った時は、誰でも、そこに長居することなく、割と早い段階でその場所を離れると思います」
 
来場者「はい」
 
坂爪「だけど、自分の好みに合わなかったからといって、この店を憎むひとはいないと思います。この店はクソだと思う必要もなければ、この店なんてなくなればいいのに、などと思う必要もない。同じように、この店を好きになれない自分は間違っているのではないだろうか、みたいなことを考え始めるのもおかしな話で、ただ、自分には合わなかっただけなのだと思っています」
 
来場者「はい」
 
坂爪「まるで的外れなたとえ話かもしれませんが、別に、その店はその店のままで存在していればいいし、自分は自分のままで存在していればいいのではないだろうか、ということを思っています」
 

 

ボク自身、わざわざ好きでもないお店に行って、

好きに「なろう」としていたのかもなあと。

あるいは、

なんでこの店にはオレの好きなものがないんだ!って怒ったり。。。

 

それだから、自分は当然ツラいし、

相手はもっとツラかったのかもしれないよね。

 

合わない人を好きになることよりも他にやることはいっぱいある。

合わない人を好きになろうと無理して頑張るよりも

そういう自分のなかの合う・合わないと

判断させるものはなんなのかに耳をすませてみること。

合うと思う人にどんどん会いに行ってみること。

そっちのほうがずっと気持ちがいい。

 

だから、合わない人を好きになれない自分に

罪悪感をもたなくてもいいんじゃないかな。

ボクはそう思いました。

 

ただ、気をつけたいのは

合わない人のことを悪く言ったり、

責めたり、変えようとしたりすることかな。



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