「たとえ」って話を分かりやすくするためにすることが大前提なので、「分かりにくいたとえ」というものはこの世には存在しない。あれ?あの人は、、、?
政治の話題って書いたことなかったので
今日はそれを。
「分かりにくいたとえ」はこの世には存在しない。
「たとえ」って話を分かりやすくするためにするもの
ということが大前提にあると思います。
難しいことをなにか別のことがらに置き換えることで
すっきり簡潔にあらわす技術。
逆に話が分かりにくくなってしまうと
それは「たとえ」とは認識されずに
なんだかよく分からない支離滅裂な
音声のかたまりになり下がってしまう。
なので、「分かりにくいたとえ」ってものは
この世には存在しないはず。
聞いててイライラする理由。
かの人の、説明を聞いてるとなぜだかイライラしてくるのは
この前提を無視した、この世には存在しないはずの
「分かりにくいたとえ」をわざわざ持ち出してきて
人をパニック状態にしちゃうからなんだろうな。
ボクらが前提にしていることを勝手に逸脱して
自分ルールを適用して話し始めてしまっている、
だから、イライラしてくるんじゃないかな。
話の内容というより、
そもそもの日本語や言葉の運用の仕方から
なにか違っているような。
もしかして、あえてそういうやり方を
しているのかもしれないなって詮索してしまうほど。
「なぜ殴りかかるような真似をしたのか。その背景を知りたい」
さておき、ちょっと前に安保法案が強行採決された日に
大阪で行われた反対アピールのスピーチを読みました。
先日、安倍首相は、インターネット番組の中で、こういう例を上げていました。『喧嘩が強くて、いつも自分を守ってくれている友達の麻生くんが、いきなり不良に殴りかかられた時には、一緒に反撃するのは当たり前ですよね』って。ぞーっとしました。
この例えを用いるのであれば、この話の続きはどうなるのでしょう。友達が殴りかかられたからと、一緒に不良に反撃をすれば、不良はもっと多くの仲間を連れて攻撃をしてくるでしょう。そして暴力の連鎖が生まれ、不必要に周りを巻き込み、関係のない人まで命を落とすことになります。
この例えを用いるのであれば、正解はこうではないでしょうか。
なぜ彼らが不良にならなければならなかったのか。そして、なぜ友達の麻生くんに殴りかかるような真似をしたのか。その背景を知りたいと検証し、暴力の連鎖を防ぐために、国が壊れる社会の構造を変えること。これが国の果たすべき役割です。
「なぜ殴りかかるような真似をしたのか。その背景を知りたい」
これはとても知的な探求だなって思いました。
人に関心がある人。
人が好きなのかなって。
でも、今の日本の代表は
「殴りかかられたら、一緒に反撃する」人なんですよね。
人がこわいのかな。
、、、やっぱり政治の話しは文章にするとなると
断片的になってまとまらないなあ。。。
次回への課題にしよう。
うーむ。