ぶらやまだ

日々のなかに遊び心を。自分らしさ探求中。

自分に価値がないと人を過剰に好きになってしまう。自分で自分を受容できないから、誰かに認められることで、誰かに必要とされることで、自分の価値を確認しようとする。

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数値的にはセンターでも、

人間の目で見るとちょっとズレて見えてしまう。

そのことに驚き気づいて、

それからというもの、

人間の特性を前提にして仕事をするようになったと、

この前のブログに書きました。

 

それまであまりにも無関心で鈍感だったから、すごい驚いた。

思うに、ボク自身こんなに驚いたのは

人の個性とか心理とか気持ちっていうものに

それまであまりにも無関心で鈍感だったからだと思うんです。

だから、ズバーーーーーン!!そうだったのかーーーーー!!!!!!

って、ショックを受けてしまったのかと。

 

他の人だったら「そんなこと当たり前じゃない」と

思うかもしれません。

 

なので、ボクにとっては

デザインを学ぶことは人の心理を学ぶことであり、

人の心理を学ぶことはデザインを学ぶことなのです。

と、今書きながら気づきました。。。

 

自分に価値がないと人を過剰に好きになってしまうという話。

で、近しい人から人間というものの興味深い話を聞きました。

それは、自分に価値がないと人を過剰に好きになってしまうという話。

 

話をしてくれたのは女性の方で、

学生の頃から好きになる男性がたくさんいて、

何度もアタックを繰り返していたらしいのです。

 

学生の頃はシャイボーイ過ぎて

甘酸っぱい思い出をつくることなく終わってしまったボクとしては、

どうしてそんなにグイグイ行けるんですか?と聞くと、

「私のこの気持ちを分かってほしいから」という返事が。

 

こんなにアナタのことを好きな私の存在は価値があるでしょ。

だから、価値を認めてほしい。

そうやって、相手にすがってしまう。

だから、「重い」と何人からも言われたという。

 

でも、そうしないと自分の存在が

消滅してしまうという恐れがあった。

自分で自分を受容できないから、

誰かに認められることで、誰かに必要とされることで

自分の存在や価値が確認できていたようで。

 

この人自身の口から当時はかなり不安定で

ほとんどストーカーまがいの行動だったともらしていましたが、、、

 

 人が人を好きになることについて。

この話を聞いて、

「私のこの気持ちを分かってほしいから」という気持ちは

多かれ少なかれ誰にでもあるんだと思った。

ただ彼女はそれがあまりにも強過ぎてしまっただけで。

 

ボクなりに変換するなら

「この人なら私のこの気持ちを分かってもらえるかもしれない」

という想いだったりするんじゃないかな。

 

話をしてくれた方は、

「好き」がゆがんだ形で現れてしまった過去があったけれど、

今では落ち着いて、穏やかなお付き合いをされているみたいで。

 

人が人を好きになることについて考えさせられました。

 

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