今にして思う。その違和感に気づけってことだったんだろうな。キミのその違和感こそ、キミ自身ならではのものでしょ?って。損得勘定の起源を辿ってみたら当時の違和感にぶち当たった。
は、はうあッ!
坂爪さんがツイッターでリツイートしてくれている。。。
ぬおおおお、ありがたいことです。
嬉しい〜〜〜
素晴らしい記事!|いばや通信「センスのある損」が教えてくれたこと。みんなが欲しいけれど、まだ気づいていない「生き方」や「在り方」を自身の体験から言語化・可視化して「これじゃない?」って、気づかせてくれた。 http://t.co/MJDs7Xo7M3
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 7月 2
自分の中に損得勘定が生まれ始まったのって、いつだろう?
ブログ読んで、記事を書いてからも、
考えてみたりするんです。
こんなに損を忌避するようになったのは、
自分の中に損得勘定が生まれ始まったのは、
いつ頃なんだろうなあって 。
ボクの場合、中学生あたりかなと。
突然に先輩後輩っていう謎の身分制度が構築されていて、
それに従わないといけない仕組みになってて。
先輩>後輩
青天の霹靂とはまさにこのこと。
だって、それまで行ってた小学校のときって
上級生は下級生の面倒をみるってことが当然だったんですもん。
それが当たり前で、嫌だとも、めんどうくさいとも思ったことがなくて、
むしろ、幼稚園あがりのぷりぷりほっぺの小さな子たちの
「お兄さん」としての役割を担うことは
とても楽しくて、かつ、誇らしいものだと思ってた。
それが、中学校になったら全然違うんだもんな〜。
ていうか、真逆になってて、年上がエバってるって、
ありえねええええええって。
表面的なつきあいの発生が同時に損得勘定の始まり。
そういう、自分にとって理解しがたい制度が強制されたもとでは、
人との関わりがそれほど楽しくなくなって、
だから、やり過ごすためにだんだんと表面的なものに
変わっていってしまったのだと思う。
たぶん、表面的なつきあいの発生が
同時に損得勘定の始まりでもあったのかなって。
本当に友達だと思ってたら、損も得もないでしょ。
たまたま同い年なだけで赤の他人の知らねえヤツだと思ってたら、
得ならつきあってみる、けど、損ならやり過ごす、スルーだぞと。
その違和感に気づけ。その違和感こそ、キミ自身ならではのものでしょ?
今にして思う。
その違和感に気づけってことだったんだろうな。
キミのその違和感こそ、キミ自身ならではのものでしょ?って。
今さらにして思うなあ。
今さらでも遅くはない、、、と思いたい。