いばや通信「センスのある損」が教えてくれたこと。みんなが欲しいけれど、まだ気づいていない「生き方」や「在り方」を自身の体験から言語化・可視化して「これじゃない?」って、気づかせてくれた。
「いばや通信」読んだら、
うわ〜っこれだよこれ!!状態になってしまいました。
今の時代のギスギス感とか閉塞感とか言われてることの
もっと奥底のものをぐわっと引っ張り上げて言語化してる!!
って思ったんす。
MAYU「普通だったら『損はしたくない(得をしたい)』って考えるけど、『マイナスでもいい!』ってなったら最強だし、どれだけ『センスのある損』が出来るのかなって」
坂爪「でもさ、そういう失敗があったからこそ自分に似合う服がわかる訳だし、ダサさを経由しないとわからないセンスみたいなものも絶対にあるし、服を選ぶみたいに(自分に似合った)損を選ぶ感覚に近いのかな」MAYU「『服を選ぶように損を選ぼう!』っていうのはいいね!損の世界においては、みんなまじでクソダサいのがいま。いばやは最先端で、『センスのある損とは何か?』を追求することで、だんだん自分に合った損の形が見えてくる」
坂爪「それなのに、謎に全国を転々とする日々を送れていたり、こうして皆様の前でお話をさせていただく機会にも恵まれている。もしかしたら、損というのは『現在の常識からみたら損』なだけであって、未来の常識からみたら『これこそが得』ということになるのかもしれないね」
損をしたくない人が行き着くのは、人と関わらないようにすること。
損をしたくない!
もう徹底的に損なんてしたくない!!
損をしてたまるものか!!!
っていうくらいの勢いっつーか、
鬼の形相でみんな生きてる感じがしてたな。
そのなかで生きるのがつらかったのよね。。。
みんな損をしたくない思いが強過ぎて、
最終的に行き着くのは人と関わらないようにすること、
人に無関心でいることなんだと思う。
自分もそうなんだろうな。
損得が発生するのって人と人が関わったときだから、
人と関わらないようにすれば、
まず損なことは起こらない。
けれど、同時に得なことも起こらない。
まあ、それでもいいやって生きてきたような気がする。
まわりのみんなもそうやってるしって。
それでいいんだって。
「その生き方、ここらが限界なんじゃない?」っていう声。
けど、いつの頃からか、だんだんと、
「でも、それでいいの?」
「死ぬまでそうやって生きていくの?」
って、自分に自問しはじめてしまうんだよね、なぜか。
たぶんきっと、人と関わらないように生きるのって
自分で自分自身をギューーーーッと、
押し潰すというか押し殺すというか、
ジワジワと絞め殺すというか、
そんな感覚に近いような気がして、
だから、限界が来ちゃうのかもしれない。
「その生き方、ここらが限界なんじゃない?」って。
そういう声をなかったことにして生きていくのか、
どの時点でもいいからその声に素直に従ってみるか
たったそれだけの違いでしかないのかな。
みんなが欲しいけれど、まだ気づいていないものに気づかせてくれることのスゴさ。
ボク的には何度も引用しちゃうんだけど、
顧客がSONYの盛田さんに「ウォークマン」を作ってくれってお願いしたわけではない。
消費者がスティーブ・ジョブスに「iPhone」が欲しいって言ったわけでもない。
ましてや時代劇のファンが池波正太郎さんに「鬼平犯科帳」を書くように指示したわけではないし、映画ファンが黒澤明監督に「天国と地獄」を撮るように提案したわけではない。消費者の85%以上が「欲しいモノはない」と答えている。
でも、本当はちがうんですね。
実際は欲しいものがないというのではなく「自分の欲しいモノに気づいていない」ということです。
今の消費の本質がここにあります。売れる商品というのはお客さまが「買いたいと気づいた商品」です。
坂爪さんの場合、製品でもなくサービスでもなく、
みんなが欲しいけれど、まだ気づいていない「生き方」や「在り方」を
自身の体験から言語化・可視化して「これじゃない?」って
気づかせてくれてるんじゃないかって思いました。