見聞きした「物語」を一度自分の手元で再上演してみることの効用。『超戦士ガンダム野郎』に熱中していたあの頃。
前に、
自分の「好き」の原点ってなんだったっけ?って思って、
振り返ってみたら「SDガンダム」でしょ!
と思い立ってブログに書きました。
自分の「好き」の原点ってなんだったけ?ひとり舞台監督に興じたSDガンダムの思い出。 - 伝えるブログ
で、さらに深堀りしてみたらなにかでてくるかなあと思っていたら、
そうそうあれあれ、あのマンガがあったぞ!と。
それがこれ↓
ざっくり言うと、
ガンダムのプラモデルが戦いまくるんです。
実際に販売されていたものであったり、
それを主人公やライバルが自分用にカスタムしちゃったりして、
それがまたカッコいいんですよ。
オレも改造してえー!ってなっちゃって、
自分でプラモデル買ってきて工作し始めたりしてね。
そのなかでも大好物だったのが
千生大将軍とガンキラー。
いやあ今見ても、ええですなあ。
色褪せないとはこのことです。
当時からしてみたら、
千生大将軍とかもう名前からして「なんかスゴい名前だ!」
って震え上がっていたし、
そのヴィジュアルも金ピカだしやたらに豪華だし翼がついてるしで、
心奪われまくりでしたね。
改めて思い返してみて、
なにがそんなに好きだったのかなと考えてみると、
SDガンダムの元々の世界観を味わってなぞりつつも
新たに自分だけのオリジナルストーリーを
想像・妄想してみることができたところかなあと。
出来合いの物語をベースに、
自分勝手にサイドストーリーやスピンオフを自作してみる。
敵だったのが改心して仲間になるとか、父の死を乗り越えて成長するとか、
自分だけの○○四天王を指名してみたり、、、。
オリジナルと言いつつもその実、思いきりパクリだったりして。
でもそうやって見聞きした「物語」を一度自分の手元で再上演してみることで
それらの気持ちや感情を自分のなかで
咀嚼して獲得しようとしてしていたんじゃないかな。
子どもの頃のお人形遊びとか学芸会での劇とかって
そういう意味があったのかも。
社会的な行為なんだろうなって、今になってみて思う。
『超戦士ガンダム野郎』をもっと知りたい人は
ボク以外にも懐かしんでいる人がたくさんいるようで、
中でもこのブログを読んでみるとよいかと。