自分の「おかしい」部分って自分ひとりの目線では気づきにくいんですよね。「おかしい」ことを「おかしい」と気づけないのは「おかしい」と認識する主体の私がそもそも「おかしい」からで。
Facebookでお友達の方がシェアしてて、
読んで興味深かった記事。
弱小ラグビー部を花園にまで導いた方の
指導方法が取り上げられていました。
なかでも気になったのはこの部分。
例えば、毎日練習していたとします。きっと、スタッフの会議では、「明日は何のメニューをやる?」、と頭を悩ませることになります。練習時間が3時間あれば、2時間までは何をやるか決まったけど、残り1時間は何をやろうか、となります。この「何をやる?」はおかしいですよ。そんなことに悩むなら、必要最小限の2時間で生徒を家に帰して、勉強させた方がいい。
練習時間が長いと、本来やらなくてもいい、ルーティンワークのような惰性的なメニューがどうしても入ってくるんです。それって意味がない。
ここで言われている「おかしい」とか「意味がない」ことを
気づかずに続けてしまうってことが多々あると思います。
自分もそうですね。。。
自分の「おかしい」部分って自分ひとりの目線では気づきにくいんですよね。
「おかしい」ことを「おかしい」と気づけないのは
「おかしい」と認識する主体の私がそもそも「おかしい」からで。
他者の目線がないと気づくのはなかなか難しいと実感します。
それに、たとえうすうす気づいたとしても
「おかしいやり方をずっとしてきたなんて、そんなバカな!
後輩に部下にカッコがつかない、、、」
などと自尊心や虚栄心が邪魔して見て見ぬフリをしたりして。
いやあ、よく陥るんですよね。。。
「おかしい」とか「意味がない」ことに気づくこと。
気づいてもなかったことにしないこと。
気づいて改めることは恥ずかしいことじゃない、カッコ悪いことじゃない。
それをチームや組織内で共通理解すること。
これはラグビーだけの話じゃないですね。