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『江戸時代の仙台を歩くー仙台地図さんぽ』で仙台の地形を知る

1691~1692(元禄4~5)年に作られたとされる地図と現代の地図を比較して見れる『江戸時代の仙台を歩くー仙台地図さんぽ』

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この古地図が描かれたとされる、約330年前の元禄期というのは伊達政宗公から数えて四代目の伊達綱村公が仙台を治めていた時代。仙台城下は約6万人程度の人口を抱えるほど繁栄し、街並みも最大規模に拡充されていたようです。同時期の江戸の人口は推定30~35万、東北の地でありながらなかなかの賑わいがあったんだろうなと想像します。

 

『江戸時代の仙台を歩くー仙台地図さんぽ』は、以前記事にもした『100年前の仙台を歩くー仙台地図さんぽ』の第二弾にあたるもの。第一弾が100年前、第二弾が300年前となっていて、合わせて読むとちょっとしたタイムトリップが味わえちゃいます。

地図・歴史好き必見!仙台の100年前と今が見比べる地図本「100年前の仙台を歩くー仙台地図さんぽ」。 - ゆるゆる脱力系男子 山田の生き方ヒントブログ

 

この『江戸時代の仙台を歩くー仙台地図さんぽ』を読んでみて、一番心躍ったのは、古地図の描写がめちゃめちゃきれいだったこと。仙台城下の町割りが碁盤の目にスマートに直線で描かれているんですよね。今から300年前っすよ。これを作った人ってすげえ技術を持ってたんだろうな。

 

で、さらに注目したのが、きれいな町割りが描かれているなかで、一部崩れているところがあったこと。特に県庁・市役所から仙台駅界隈。

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これってどうしてなんだろうと思って解説を読むと、河岸段丘の段丘崖、つまり、崖、あるいは急な斜面。だから、町割りの基本形である碁盤の目を割り出すことができなかったという。

 

河岸段丘ってなに???そういえば、「ブラタモリ仙台編」でも仙台は河岸段丘だとかなんとか言ってたなあと思い出して。

調べてみると、河岸段丘というのは川が長い歳月をかけて作り出した地形だということ。

河岸段丘…広瀬川が創りだした時間の造形

広瀬川によって、(川に近いものから)下町段丘・中町段丘・上町段丘の3つの河岸段丘が形成されており、境には崖面が見られます。

中町段丘が直接広瀬川と接する場所もあり、大きな高低差が生まれ、雄大な景観が見られるなど、仙台ならではの地形がここにあります。

河岸段丘…広瀬川が創りだした時間の造形

広瀬川の個性を読み解く | せんだいセントラルパーク

 

仙台の街は下町段丘・中町段丘・上町段丘、この3つの河岸段丘の上に作られているんだな。ふむふむ。

 

仙台の河岸段丘がひと目で分かるこんな素晴らしい図を発見!これすごい分かりやすい!市役所・県庁あたりはちょうど段丘の変わり目になってる。それが地図の描写にも反映されてるんだな。

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仙台の町並みをつくる河岸段丘

 

他にも、河岸段丘の高低差を色分けしてMAPにしたものも。

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http://www.hirosegawa-net.com/report/img/map_chikei.pdf

 

仙台を流れる広瀬川。この川が作り出した地形をうまく利用して仙台の街が形成されているんだなあ。

地図って平面だけど、よく観察することで、仙台の地形を立体的に捉える手がかりがあるってことっすねー。

 

以上!

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