センダイ座「1645 正保2年 奥州仙台城絵図」ブラタモリにも出演した木村浩二さんのお話を聞いてきたよ
①仙台城は戦を前提にした山城、石垣は3度作り直されている
②河原町から南側は城外にあたる、休憩のためにお茶屋があった(五軒茶屋)
③江戸時代の大橋の橋脚が今も広瀬川に残っている
④一番町は正確には東一番丁、奥州街道から数えて東に一番目にある武士の住む町という意味
⑤支倉町と川内をつなぐルートとして支倉坂、支倉橋がかつてあった
【仙台の癒しスポット】オススメ絶景ビューポイント3選
青葉城(仙台城)趾
大満寺 虚空蔵堂
瞑想の松 展望台
矛盾しているのは全て良くないこと?
溜め込まずに、流れをよくしておくこと
地形好きにはたまらん!仙台市博物館 企画展「戦国の伊達・政宗の城・仙台の町」
行ってきました仙台市博物館。
お目当はここで行われている企画展「戦国の伊達・政宗の城・仙台の町」。
斎藤報恩会という財団法人から寄贈された貴重な歴史資料が展示されているとの情報をキャッチ。
そのなかには、現存するうち最も古いとされる仙台城図や幕末期の仙台城下図などなど、地形・地図好きにはもうたまらん!ラインナップなのでございます。
実物を見ると畳数枚分もある大きさで、しかも、かなり正確かつ緻密に描写されていた。これは作成するのに相当な労力だったんだろうなあと。
解説を読んでみると、こうした精密な地図や絵図が残っているのは時の江戸幕府から地図提出の命を受けて作られていたそうな。
正保元年(1644)、江戸幕府は全国の主要な大名に国ごとの地図である国絵図と土地台帳である郷帳、道の情報を記した道帳、城絵図の提出を命じた。
江戸幕府は元禄10年、全国の諸大名に一国ごとに国絵図・郷帳の提出を命じた。
仙台市博物館収蔵資料図録 斎藤報恩会寄贈資料より
自分とこの領土をこと細かにお上に報告しなきゃいけなかったってことなのでしょうね。
想像するに、支配体制の強化や幕府の目の届かないところで悪いことしないようにとかそういう目的があったりするんでしょうかね。
んで、この仙台市博物館はかつての仙台城の三の丸跡にありまして。
なので、博物館の周辺には歴史好きにとっては見所がまんさい。
せっかく来たから、本丸跡まで行ってみたら、伊達武将隊がいたよ★
やっぱ武将ってカッコイイよね〜
ひとりだけ武将じゃない松尾芭蕉もいるけど。
ちなみに、この企画展は来週の12/27(火)までですよ〜
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仙台の戦国武将 国分氏と留守氏のお城跡巡り
国分氏の松森城(鶴ヶ城)
ゆるい坂をあがっていくと駐車スペースになっていて、そこから階段を進むと本丸跡へ続きます。わっせわっせ。
こちらは二の丸のようです。
留守氏の岩切城
続いて、留守氏の岩切城。
高森山にあることから今では高森山公園になってます。
登っていくとこの入り口が見えてきます。
ズンズン進みます!
むむむ!ここが本丸跡のようです!
木が立派でございますな~、これも桜だったかな。
ふたつの城の距離
気づいたのは、このふたつのお城跡、めっちゃ近いところにあるんですよね。
その距離、1~2kmくらい。
こんな近くにあるってことは、このあたりを境に領地争いをしていたのかしら。
ますます興味が湧く~
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