ぶらやまだ

日々のなかに遊び心を。自分らしさ探求中。

センダイ座「1645 正保2年 奥州仙台城絵図」ブラタモリにも出演した木村浩二さんのお話を聞いてきたよ

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センダイ座「1645 正保2年 奥州仙台城絵図 〜初心者だって大丈夫 仙臺最古の絵図は、こんなに愉しめる〜」に参加してきました。
 
「センダイ座」というのは風の時という編集プロダクションの佐藤正美さんが中心になって開いている誰でも参加できる市民講座のようなもの。
2012年から仙台にまつわるイベントを行っているみたいです。
 
 
今回は風の時編集部から発行されて間もない「1645 正保2年 奥州仙台城絵図」という、江戸時代初期に描かれた仙台城下の古地図をより楽しむための講座。
NHKの「ブラタモリ」仙台編にも出演された木村浩二さんが解説してくれました。
 
13時から14時30分までの予定だったけど、木村さんが時間を忘れてしまうほど熱く語って15時を超えるまでに!
どうやら木村さん、話し出すと夢中になってしまうみたい(笑)
こちらとしてはたくさん聞けてむしろありがたいっす。
 
 
木村さんのお話を聞くのは初めてだったけど、ぼくがなるほどな〜!と思ったのは
 
①仙台城は戦を前提にした山城、石垣は3度作り直されている
②河原町から南側は城外にあたる、休憩のためにお茶屋があった(五軒茶屋)
③江戸時代の大橋の橋脚が今も広瀬川に残っている
④一番町は正確には東一番丁、奥州街道から数えて東に一番目にある武士の住む町という意味
⑤支倉町と川内をつなぐルートとして支倉坂、支倉橋がかつてあった
 

①仙台城は戦を前提にした山城、石垣は3度作り直されている

仙台城(青葉城)は青葉山の上に作られた山城。
これはすなわち戦を前提にしているということ。
木村さんいわく、当時の奥州の情勢はまだまだ安定してなかったために山城にしたのではないかと。
 

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1645 正保2年 奥州仙台城絵図(以下:正保絵図)に描かれた城の石垣を見ると、魚のうろこのよう。
これは野面(のづら)積みと呼ばれ、現在見られる仙台城の石垣とは異なっていて。
調査の結果分かっているのは、3度作り直されていて、現在見られるのはその3期目。
1998年〜2004年に一度修復工事が行われていたんだって、知らなかった!
石をひとつずつ取り外して、記録し、またひとつずつ積み直していく、、、これは気が遠くなるようなすごい仕事だなあ、、、ゴイゴイスーです。スーをさしあげます!
仙台城って、建物がなくて石垣しかないんじゃ〜んって思ってたけど、この石垣だけでも歴史的価値がとってもあるんだな〜。
 

②河原町から南側は城外にあたる、休憩のためにお茶屋があった(五軒茶屋)

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正保絵図に描かれた範囲がほぼ城内にあたり、その外は城外と呼ばれたそうで。
南は河原町〜長町間がその境で、城内〜城外の出入りの際はお茶屋で休憩・休息してんだって。
五軒のお茶屋があったから五軒茶屋って呼ばれていたそうな。
そういえば、その近くに「旅立稲荷神社」が残っているのもこの名残なのかもな。
  

③江戸時代の大橋の橋脚が今も広瀬川に残っている

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仙台城へ通じる橋、大橋。
現在までに何度か架け替えられているそうで、その証に橋脚が広瀬川に今も残っている。
思い出すと、確かにそれっぽいのが橋のたもとから見られたような。
今度確かめに行って見てこよう〜。
 

④一番町は正確には東一番丁、奥州街道から数えて東に一番目にある武士の住む町という意味

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現在表記される仙台の一番町。
これは正確には東一番丁らしく、武士の住む町が「丁」、商人の住む町が「町」。
読み方も丁は「ちょう」で、町は「まち」。
奥州街道から数えて東に一番目にある武士の住む町っていう意味で東一番丁なんですってよ。
 

⑤支倉町と川内をつなぐルートとして支倉坂、支倉橋がかつてあった

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最後に木村さんもコーフンして話していたのが、幻の支倉坂、支倉橋。
正保絵図には小さくも確かに支倉坂は描かれていて、「仙台地図さんぽ江戸版」では支倉橋も見ることができる。
洪水によって流されて、その後、少し離れた場所に澱橋ができたことによって、以降は見ることができなくなってしまったとお話されてました。
地名をみると支倉町から橋があった先をみると「川内元支倉丁」となっていて、ちゃんと残っているんだな〜と。
 
 
 
歴史って、古臭いもの、マニアだけが楽しむものってわけじゃなくて、
ちゃんと眺めてみれば今現在とひと続きになっているものなんだよなって。
 
なんでこの地名なんだろう?なんでここに神社があるんだろう?
過去をさかのぼってみると、実は江戸時代の昔ね、、、なんてことがあるわけで。
知るとより楽しめて、愛着も一層湧くなあとぼくは思うのでした。
 
 
今回の「1645 正保2年 奥州仙台城絵図」はこちらから購入できるよ★
 
〜END〜

【仙台の癒しスポット】オススメ絶景ビューポイント3選

「仙台で眺めのいい場所ってどこ?」
とついこの前、聞かれたときに意外にたくさんあるぞと思ったのでまとめてみたよ。
 
いい眺めを見る=癒されるスポット。
ってことで、ぼくが癒しスポットとして重要視するポイントは3つ。
◎静かであること
◎人があんまり多くないこと
◎開放的で気持ちがいいこと
を基準に★をつけてみたのであくまで参考にしてもらえれば~。

 

青葉城(仙台城)趾

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ご存知、伊達政宗公の居城。
広瀬川を挟んで対岸に仙台の街並みを見渡せます。
政宗公がここにお城を築いたのも頷ける、とっても見晴らしのいい場所。
クマには気をつけてね♪
 
◎静かであること…★★星2
観光地だけに静けさは期待できませんね。
 
◎人があんまり多くないこと…★星1
人もわさわさいます。
 
◎開放的で気持ちがいいこと…★★★★★星5!
お城があった場所だけに眺めのよさはバツグン!

 
 

大満寺 虚空蔵堂

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仙台駅から少し南、愛宕山にあるのが大満寺 虚空蔵堂(こくうぞうどう)。
隣には愛宕神社もあって、この愛宕山という場所はパワーのある場所なんでしょうね。
 
青葉城趾と同じく広瀬川を挟んだ向こうに仙台の街を見下ろせます。
お寺なので、とても静かに落ち着いて眺められますよ。
 
◎静かであること…★★★★★星5!
お寺の敷地内なので、清い静けさを感じられまする。
 
◎人があんまり多くないこと…★★★★星4
それほど多くはないものの、参拝客はちらほら。
 
◎開放的で気持ちがいいこと…★★★★星4
見れる場所はそれほど広くないかな。

 
 

瞑想の松 展望台

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仙台の地形は広瀬川が作った河岸段丘。台原段丘は仙台の北東の盛り上がった場所。
その台原段丘をぐるりと見渡せる穴場が瞑想の松 展望台。
なんでも、高山樗牛(たかやまちょぎゅう)という人が学生時代に瞑想にふけった場所なんだって。
 
◎静かであること…★★★星3
まわりは住宅街だけど、わりと落ち着いてます。
 
◎人があんまり多くないこと…★★★★星3
ぼくが行ったときは誰もいなかったけど、住宅街や大学があるから人は来てそう。
 
◎開放的で気持ちがいいこと…★★★★星4
展望台からぐるりと眺めることができてなかなかオツです。

~END~

矛盾しているのは全て良くないこと?

昨年末のこと。
仕事納めを終えて、 職場から自宅に帰る途中。
ひとつだけ今年中にやっておきたいことがあるなとふと思った。
それは職場のあるひとりの同僚ともう一度関わりたいということ。
 
その人のことをやんわりと避け続けていた。
避けていたのは、自分が直接的に嫌なことをされたわけではなく。
けれど、その人の仕事中の姿勢・言動が自分の中の「ありえねえコイツ」の閾値を越えることが何度かあって、その度にぼくは心のシャッターを閉じてしまっていた。
 
こういう状態になることは以前にも何度もあって、だから、しょうがないかと諦めていたところもあって。
けれど、あと少しで今年も終わると思い、やり残したことはと考えてみたらその同僚のことが頭をよぎったんすよね。
その人のことを思い出すとなんかムカムカしてしまう。
と同時に、なんでこんなにムカムカしてしまうんだろうとも思う自分もいる。
 
結局のところ、ぼくはその同僚に連絡をとって、食事をし、たわいもない話を少しして2016年を終えた。
 
 
 
ぼくは心のシャッターを開けたんだ!、、、と、感動エピソードにするつもりもなく、なりそうな特別な内容もなく、大きな変化があったわけでもなく。
ただ、素直にその人とは関係を凍結させたままではいたくないなーと思った。
んで、一方では、単なる気まぐれでまたすぐ嫌悪しちゃうんじゃねーかな、どうせ長続きしないんでしょ?とささやく自分もいるんだよな。
 
関わりたいのか、関わりたくないのか。
どっちなの?って自分でも思う。
 
思うのだけれど、まあ、どっちも自分の素直な気持ちなんだろうなって。
矛盾してても、正反対でも、真逆でも、普通に考えたらそんなのおかしいだろうけど(自分でも思うww)まあ仕方ないなあと。
論理的に理性的にはおかしいとは思えど、でも、どっちも思ってしまうのだから、どっちもあるままに抱えて生きていくしかないなあと。
 
てか、そのうちにその矛盾が解きほぐれてくるかもしれんし。ま、ならんかもしれないけど。
つまるところは「今ここにある」ことをいくら否定しても苦しくなるばかりで。
矛盾してるのはおかしいことなのかもしれないけれど、今ここに矛盾した気持ちがあることに変わりはないんだよなあ。
 
なら、そういう状態にあるのだなあと自覚しておくくらいができることなんじゃないかな。
 
〜END〜

溜め込まずに、流れをよくしておくこと

人間にあって、他の動物にないものって、過去を記憶して、未来を予測できることだと思う。
 
ある一定容量を脳内にメモリーして、それをひっぱり出すことができる。
思い出したり、懐かしんだり。
記憶をもとに先の未来を予想予測、想定して、行動することもできちゃう。
その能力が人間のすんげえところなんだよなあ。
 
ただ、そのすごい能力も使いようでございまして。
 
過去のことを思い出してクヨクヨと後悔したり、確定していない先の未来をあれもこれもと心配して不安になったりすることがよくある。
というか、よくあるどころか、ありまくり~~~
せっかくの能力も台無し〜〜〜
 
そういうときって、自分の思考も体も、過去と未来にムギュ〜とサンドイッチされて、どうにもこうにも身動きがとれなくなっちゃうんすよね。
あるあるだわ~
 
んじゃあ、どうしたらいいもんかなって、自分なりに意識してみているのが「流れをよくしておくこと」なのかなって。
 
 
後悔も不安も無くせないと思うし、これからも死ぬまでずっと付き合っていく感情なんじゃないかな。
最近まで、後悔や不安の内容にフォーカスして原因を探ることが解決につながるはずと思っていたんだけれど、後悔も不安も悪いものじゃなくて、それらにからめとられて、溜め込んでしまうと身動きがとれなくなってクサクサしてくるように思うんだなあ。
 
我慢する、耐える、抑える。
それが人としての美徳みたいな価値観が自分の中にはあって、だから、いろんなことを表に出さないでおこうとしちゃうんだよね。
んで、気づくとものすごく溜め込んでしまってるのよね。
 
そうなるともう手遅れで、強烈な後悔や不安が自分を襲ってきちゃうんすよ。
自分の中で収まればいいほうで、悲惨なのはまわりの誰かに転嫁して、罵しって糾弾して怒りをぶちまけようとする自分が現れてくること。
もうきついっすね〜〜〜
 
 
空気も水も流れがなくなってしまうと淀んでしまうよね。
大事なのは、後悔や不安の中身ではなく、流れていることなのでは?
ヤバいのは、自分のいる環境が流れがなく淀んでいることなのでは?
 
流れを生み出すには、クヨクヨしたり、どうしようと心配になったら、それをとりあえず出してみることかなあと。
言葉にしてみる、書いてみる。
ぼくの場合、ブログもひとつの手段だし、ノートにペンでババーッと書いたりすることも増えたかな。
最近は原付バイクをゲットして、ブイーンと走りながらひとりでブツブツ言ったり、そん時の気持ちを歌にのせてみたりする。
(恥ずかぴーので、もちろん人のいないところで❤︎キャッ)
 
んで、肝心なのは出したものの出来についてあれこれと云々しないこと。
出して、流れをつくることが目的なので、ノートの書き方が汚いとか、言葉が悪いとかカンケーないすよーと思ってる。
 
自分ができる範囲、行動しやすいやり方で、少しずつ表に出してみるといいんじゃないかな。
 
〜END〜

地形好きにはたまらん!仙台市博物館 企画展「戦国の伊達・政宗の城・仙台の町」

行ってきました仙台市博物館。

お目当はここで行われている企画展「戦国の伊達・政宗の城・仙台の町」。

 

斎藤報恩会という財団法人から寄贈された貴重な歴史資料が展示されているとの情報をキャッチ。

そのなかには、現存するうち最も古いとされる仙台城図や幕末期の仙台城下図などなど、地形・地図好きにはもうたまらん!ラインナップなのでございます。

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実物を見ると畳数枚分もある大きさで、しかも、かなり正確かつ緻密に描写されていた。これは作成するのに相当な労力だったんだろうなあと。

解説を読んでみると、こうした精密な地図や絵図が残っているのは時の江戸幕府から地図提出の命を受けて作られていたそうな。

正保元年(1644)、江戸幕府は全国の主要な大名に国ごとの地図である国絵図と土地台帳である郷帳、道の情報を記した道帳、城絵図の提出を命じた。

 

江戸幕府は元禄10年、全国の諸大名に一国ごとに国絵図・郷帳の提出を命じた。

仙台市博物館収蔵資料図録 斎藤報恩会寄贈資料より

自分とこの領土をこと細かにお上に報告しなきゃいけなかったってことなのでしょうね。

想像するに、支配体制の強化や幕府の目の届かないところで悪いことしないようにとかそういう目的があったりするんでしょうかね。

 

んで、この仙台市博物館はかつての仙台城の三の丸跡にありまして。

なので、博物館の周辺には歴史好きにとっては見所がまんさい。

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せっかく来たから、本丸跡まで行ってみたら、伊達武将隊がいたよ★

やっぱ武将ってカッコイイよね〜

ひとりだけ武将じゃない松尾芭蕉もいるけど。

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ちなみに、この企画展は来週の12/27(火)までですよ〜 

 

〜END〜

仙台の戦国武将 国分氏と留守氏のお城跡巡り

伊達政宗公が宮城一帯を治める前に仙台を領地にしていたのが、国分氏と留守氏。
国分氏が居城としていたのが千代城(のちの仙台城)、そしてもうひとつが松森城。
留守氏の居城が岩切城。
なんと、このふたつの城跡が残っていると聞きつけ、さっそく行ってきました。

 

国分氏の松森城(鶴ヶ城)

まずは松森城。この地が鶴が飛ぶ姿に似ていることから別名「鶴ヶ城」とも呼ばれていたそうですよ。

 
住宅地の中に入り口の案内があります~。

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ゆるい坂をあがっていくと駐車スペースになっていて、そこから階段を進むと本丸跡へ続きます。わっせわっせ。

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そうこうするうちに、、、やや!本丸跡に到着。
桜が植えられていたので春は花見が楽しめそう。
近くに学校があるのか、体育か部活をやってる子どもたちの声が響いてました~。

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こちらは二の丸のようです。

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留守氏の岩切城

続いて、留守氏の岩切城。

高森山にあることから今では高森山公園になってます。

 

登っていくとこの入り口が見えてきます。

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ズンズン進みます!

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むむむ!ここが本丸跡のようです!

木が立派でございますな~、これも桜だったかな。

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ふたつの城の距離

気づいたのは、このふたつのお城跡、めっちゃ近いところにあるんですよね。

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その距離、1~2kmくらい。

こんな近くにあるってことは、このあたりを境に領地争いをしていたのかしら。

ますます興味が湧く~

 

~END~

OKバブリー❤︎バブルを知らない世代に支持されるバブリー芸人平野ノラについて考えてみた

おったまげ〜の、ぶっとび〜〜
みんな〜〜〜、ナタデココ食べてる〜〜〜?
 
最近ハマってるのが、バブリー芸人の平野ノラ。
 
ぼくは1983年生まれなんで、小学生の頃にバブルが終わっちゃうから、バブリー体験っつーもんはほとんどないんだけども。
それでもネタのなかに出てくる鉄骨飲料とか5時から男とかポケベルとか聞くと、すげ〜懐かしいなあって思う。
 
んで、驚くのはバブル時代をかすりもしない若い世代にも人気があるんだそうで。
これ不思議っすよね。
なにがそんなにも多くの人の支持を得るのかなと考えてみると
バブルっていったいなあに?を一瞬で体現してみせてくれるところなのかなーって。
 
 
バブルってその当時を知らない人には実態がよく分からないよね。
禿げ散らかしたおっさんがあの頃はよかったと遠い目をしてつぶやく思い出話は聞きたくもないし、解説書・参考書には載っているものの、その当時の空気感はやっぱり分からないわけで。
急激に土地の値段が上がったりして、なんだかみんな浮かれていた、そんなぼんやりしたイメージ。
バブル崩壊後、ずっと不況って言われ続けてて、そんな時代しか知らない世代にとっては想像しがたいでしょうね。
 
そんなぼんやりしたイメージでしかないものを分かりやすく誇張して見せてくれているのがバブリー芸人の真骨頂なんじゃないかな。
 
長いソバージュヘアと太い眉、肩パッド入りまくりのボディコンスーツ姿、肩にかけたデカすぎる携帯電話。
言葉遣いは大げさかつ豪快&意味不明ワードもちらほらww
当時みんながみんなこうだったわけじゃないだろうし、オーバーに表現しているところはあるものの、バブル当時を思い出す要素は確かにあって。
 
知ってる世代にとっては懐かしいと思いつつ、ふざけすぎだろ!って思わずツッコミたくなるし、知らない世代にとっては「こんな時代があったのか〜〜〜!」っていう驚きがまず新鮮なのかもしれないなあ。
バブル崩壊から20年以上経って、バブルっていったいなんだったの?って人たちに、こんなおバカでおったまげ〜な時代があったのよ〜って。
 
 
OKバブリー❤︎鉄骨飲料、好きだったな〜
 
〜END〜
 
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